アメリ

トリコロールの青は自由、白は平等、そして赤は博愛。フランスから届いた不器用で可愛い女の子の物語。彼女の部屋は赤一色でした。台所にずらっと吊るされていた赤いお鍋達が特に可愛かったなぁ。キェシロフスキの「トリコロール」のようにハッとさせられるような色使いではないのですが、全編に散りばめられた彼女の赤のイメージはなんだか心を落ち着かせてくれるような不思議な赤でした。

「博愛っていうのは、見ず知らずの全ての人にも遍く愛情を振り向けるということだけでなく、自分の幸せと自分の大切な人の幸せを大事にしながら、自分にとってかけがえのない人をひとりずつひとりずつ増やしていくことなんだ。」

「トリコロール赤の愛」を見た時と同じ事をまた感じました。

そうなんだよね、自分の幸せのためにも他人の幸せのためにも「はじめの一歩」を踏み出すのには本当に勇気がいるんだよね。自分の幸せのために一歩を踏み出せない時、「他人の幸せのため」という言い訳を口にしてしまったり、それからその逆も・・・。分かっていても、どうしても勇気が出ないんだよね。
だからそんな一歩を踏み出すために彼女の背中を押してくれる人々の存在が嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
「君の骨はガラスじゃない。人生にぶつかっても立ち直れるはずだ。」
とびきり素敵な、皆に勇気をくれる台詞でした。

アメリとガラス男との対話は、彼が描く絵画を通して、また彼女の送るビデオを通して、また彼の外界との唯一の接点である望遠鏡を通して成立していました。
このあたりは監督の映画への思いが明確に込められていて、また同じ思いを込めたキェシロフスキのことを再び想起しないではいられませんでした。
彼の作品にも望遠鏡(双眼鏡)やビデオが度々登場しました。それらにはいつも明確なメッセージが込められていました。決して口に出すことはなくても映画の可能性を信じてる人なのだと思います、二人とも。(そう言えば「トリコロール赤の愛」の主人公ヴァランティーヌと退役判事の関係とこの映画のアメリとガラス男の関係はとてもよく似ています。)

「映画や絵画や空想の世界は虚構に過ぎない。でもそれらはきっと私たちが現実に立ち向かうために力を与えてくれるはずだ。」

そんな力強いポジティヴなメッセージになんだか胸が高鳴って映画を見ながら両手を唇に当て僕はホクホクしてしまいました。

映画の最初と最後で登場人物に対する自分の感じ方がガラっと変わってしまうこの映画。ただ自分の世界に閉じこもり、お互いの繋がりが希薄であるように見えたアメリの両親。彼らに対する見方も旅に出ることを決意する父親を見る頃には全く違うものになっていました。

「自分の幸せがなければ自分の大切な人の幸せはない。」
「自分の大切な人の幸せがなければ自分の幸せはない。」

自分の世界を大切にすることは決して「博愛」と矛盾しないのです。

優しくゆっくりと積み重ねられた歴史と暖かい光が印象的なモンマルトルの街並みは数え切れないほど沢山のそうした「二人達」を思い浮かべさせてくれました。もう一度見たい映画。今度は彼女を誘って行くことにします。
01/12/20(木) 22:00

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