コクリコ坂から

もう一度映画館で見たい。
話に“けり”などつけず、中盤あたりをずっと見ていたくなりました。
なぜならあの場所には僕がいたから。あの時、あの場所に自分がいたように懐かしく思えるから。
「青春」は誰かの人生のある時期のことだけをいうのではなくて。

その清々しさは、もはやその定義すら怪しくなっている「若者らしさ」を若者が演じ、「大人らしさ」を大人が演じているところから来ているのではないでしょうか。
大好きな庄司薫の「薫君シリーズ」を思い出させる高校生達の「民主主義ごっこ」。若者達は胡散臭さやいやったらしさを重々承知の上で、ごっこを精一杯演じ、また大人たちもそこに加わり若者の若者らしさを認めている。
誰かが「こんなの茶番だ。」とか「どうせ僕達は・・・」とか「志望大学の推薦がなくなってもいいのか」とか言った途端に全てが脆く崩れ去ってしまうようなものなのだけど、でも皆が“らしさ”を演じることで守ることが出来るとても貴重なもの。
下宿屋の大奥様には富や伝統を受け継ぐものが、どう振舞うべきかという確固たる価値観が見えるし、それから海の父親達には“人脈”やギブアンドテイクではない本当の友情を見ることが出来ます。
大人たちの精一杯の矜持。彼らもまた誰にも強制されることなく「大人らしさ」を演じきっているのです。

理事長に直談判に行った三人が礼儀正しく背筋を伸ばして堂々と大人に対峙する姿にも色々なことを思いました。
自分はそのように振舞うことが出来ていたか。自分はそのように接してもらうに相応しい大人になれているか。
何かを主張するのなら主張する相手に対してこそ最大限の礼節を持って接しなくてはいけない。理屈や正論だけでは主義を通すことも、屈服させることも出来ないのだということを。

改めてあの風景と共に聞くとますます良い曲ですね「上を向いて歩こう」は。そして懐かしい。
そこにいるはずのなかった僕が「懐かしい」と思えたのならば、それを過去でなく未来のいつかとして、もう一度自分のものにすることも出来るかもしれない。
そんな風に思わせてくれる、そんな風に思いたくなる実に清々しい作品でした。

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