「誰の人生でも探求する価値があり秘密と夢がある」
大いなる実感をもって僕もこの言葉に同意する。表現の仕方に個人差はあっても、人生と、秘密と、夢、その重みは全く変わらない。
そして、この言葉を自身の作品を通じて彼ほど実践した映画監督もいない。
作品の中に登場する人物に主従の関係を結ばせることなく、全ての人に平等にスポットライトがあたる。キェシロフスキ自身もまた「神の視点」で彼らを見下ろすのではなく、彼らと同じ人生を同じ目線で生きている。だから彼の映画には「覗く」シーンが数多く出てくる。インモラルな覗き行為ではなく、全ての人物が抱える秘密と夢を等しく共有するが故の「覗き」だ。
それはある時に覗かれる側にとっての癒しにも転化される。「愛に関する短いフィルム」がその代表格だが、望遠鏡越しに青年から覗かれることによってマグダは自分が見失いかけていた真実の愛の甘美さと痛々しさを思い出すことになる。
大切な人との対話によって、自分の忘れかけていた大切なひきだしを一つずつ開ける。自分が自分らしく生きていたときの記憶を呼び覚ます。自分が積み重ねてきた秘密と夢をもう一度見つける。
その価値を知る人にとってキェシロフスキの作品は、どこまでも真実であり、どこまでも優しい。