昔語りの映画の中にレイフ・ファインズというと、何やら「イングリッシュ・ぺイシェント」も思い出されてきて、全く異なる男をそれぞれに魅力的に演じることが出来る彼はなんと幸せで類まれな才能の持ち主なのだろうと思う。
グスタヴはキザで鼻持ちならない人物であって、本人も決してそのことを否定しないだろうけど、彼のような人物がそうあり続けられることこそが自由や平和の象徴なのだとも思う。
謂れのない理不尽な暴力は映画の中ではウィレム・デフォーが一手に引き受けてくれていたけど、彼が無慈悲に、造作もなく殺めてしまったのは、小さな動物、法に仕える者、足の不自由な女性・・・とうことになる。彼の暴力が象徴しているのは戦争で、そうなれば何千、何万の小さな命、正しきもの、弱い人たちが殺められていくのだと。
グスタヴは断固それを許さない。列車の中で出会った兵士たちにも決して媚びることなく抵抗する。「私のボーイに指一本触れるな!」には熱くなった。ムスタファだけでなく、僕も。
そこに暴力が介在しなくてもまた、やはり名も無き人々の命は儚くて、その失われていった愛すべき小さなものに思いを残して小さな光を当てることこそが残されたもののつとめなわけで。それを生業にしているのが「作家」ということになる。
作家にホテルを買収した理由を尋ねられたときのムスタファの答えが切なくてとても好きだ。「愛する人が過ごした短い幸せな時間のために」。
失われた古き愛しきものに光を当てるのが「作家」だとすれば、そこに血を通わせ踊らせ、歌わせ、愛させ、イキイキと躍動させるのが「映画監督」なのかもしれない。
短く幸せなときを過ごしたアガサ。本当に短い間だったけど、とても可愛くて利口で勇敢で、僕も大好きになった。屋根裏部屋をよじ登って煙突から首を出してキョロキョロと辺りを見回すあの仕草、小動物そのものだった。ムスタファの切なさをこうして僕も共有している。