ひかりのまち

Alice In Wonderland

誰もがいつも誰かのことを求めていて、どうしても見つけることが出来ない、どうしても気持ちを伝えることが出来ない、そんな世界に彼女は生まれてきました。

僕は27の女の子ではありませんが、たった一人でバスに乗って街の明かりを見ているとどうしようもなく切ない気持ちになってしまうナディアの気持ちがよく分かります。僕は離婚した両親の子供ではありませんが、一人ぼっちで楽しみにしていた花火を見に行ったジャックの気持ちがよく分かります。僕は別れた妻の子供に月に一度だけ会っている亭主ではありませんが、ふと伝言ダイヤルのメッセージの女性に会いたくなってしまうダンの気持ちがよく分かります。僕は家を飛び出した息子の父親ではありませんが、息子からかかってきた留守番電話のメッセージを何万回も繰り返して聞くビルの気持ちがよく分かります。
分かったつもりになっているだけかもしれない。でもこの映画を見ていると、僕が彼ら皆を必要としていて、彼らが皆、僕のことを必要としているような気がしたのです。

そんな彼らが、ふと自分の求めている人に出会えた瞬間、自分を求めている人に出会えた瞬間。でも決して彼らは神様に祝福されている人間ではありません。
ウィンターボトムが描いているのはいつも「神様に忘れられた人間」「神様に忘れられたと思っている人間」達です。「神様に忘れられた人間」が誰かを求める気持ち、彼らの気持ちはその行き先さえも見失って夜の街を彷徨います。
でもその光は決して消えることはありません。輝きつづけるのです。自分らしく、自分らしく、一層光り輝くのです。夜の街の明かりのように、空に広がる花火のように。

「ナディア、その髪型、とても可愛いよ。」

僕はこの映画がとてもとても大好きです。
00/09/14(木) 15:25

「ひかりのまち」は脚本のローレンス・コリアトがアルトマンの「ショートカッツ」にインスパイアされ、当初は登場人物が他人同士という設定で作られていたそうです。

「ショートカッツ」の登場人物たちの結びつきは彼らが意図したものでもなければ望んだものでもありません。しかし彼らのつながりは複雑に入り組んでいて、ある意味その結びつきは「ひかりのまち」以上に強いものであったかもしれません。しかし彼らはその結びつきに気がつくことすら出来ません。

「ひかりのまち」の登場人物たちは一生懸命に探します。自分の知らないどこかで自分をそっと見守ってくれている、自分を待ってくれている人の事を。探して探しすぎるからこそ彼らは自分のすぐ傍にいる人のことに気がつくことが出来ません。

「ショートカッツ」の主人公たちが人とのつながりを積極的に欲していないわりに、かなり複雑に赤の他人と関わっているのに対して「ひかりのまち」は家族や友人といったかなり身近な人との関わりを描いています。本当は彼らときちんと結びついているのに、どうしてもそれに気がつくことが出来ず、見知らぬ誰かを求めてしまうような気持ち。かれらが欲しがっているのは「ショートカッツ」の主人公たちが気がつくこともなく何気なくポイとごみ箱に捨てるようにして、あとにしてきた誰かとの出会いだったのです。
しかし「ショートカッツ」の出会いのように(アルトマンという)神様が目の前の駒を器用に動かして誰かと誰かを出会わせているような関係から希望を見つけることをこの映画はしていません。そしてそうした数え切れない運命のいたずらによる出会いを皮肉たっぷりに眺める(アルトマンのような)冷たさもこの映画にはありません。

本当はどうにもならない運命のいたずらに弄ばれていても、探さないではいられない愚かさを描きながら・・・。
そんなことは分かっていて、でも探しつづける人々や街の明かりの一つ一つを優しい目で見つめることができるのは、それは多分ウィンターボトムという人が探しつづけている人だからなのかもしれません。

一足早くナイマンのサントラを入手しました。
一人一人の登場人物たちの名前がつけられた曲たち。映画を見る前から彼らに出会うのが楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
一番興味があったのがフランクリンという人物です。
シャイで傷つきやすくて、でもしっかりした優しさで自分の大切な人を包み込んでくれるような人。思った通りの青年でした。

決して登場シーンは多くありませんが、この映画は彼のための物語なのかもしれません。ほんのちょっとのきっかけがなくて一歩を踏み出せないでいる彼のような人物が暗闇に身を潜めてスクリーンを見つめている僕たちに一番近い存在に感じられたのです(映画をご覧になった僕以外の人に失礼かもしれませんが)。
00/09/26(火) 23:03

不器用で欠点だらけの僕たちは、大切な人の幸せを願っているはずなのに、空回りしてばかり。悩んだり、苦しんだり、出口があるのかどうかも分からない道を手探りで進み続けるしかなくて。

光が見えるのは、希望が見えるのは本当に一瞬。

空に浮かんだ花火のように、留守番電話のメッセージのように、帰りのタクシーの中の一言のように、病院の廊下での思いがけない再会のように。
それから、朝、駅に向かう途中に交わした、でも勇気を振り絞ってかけた小さな一言だったり。
「ナディア、その髪型、いいね。」

悩みや不安や、もどかしさは一生消えることは無いけど、ほんの一瞬の光が、希望が僕を支えてくれている。
また、新しい一週間が始まる。
2010/8/8

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