BARに灯ともる頃

映画が終わった後、登場人物のその後を想像してしまったり、映画の中で語られなかった登場人物の人柄にまで思いが及んでしまうようなことがあったとしたら、それはとても心地よいことです。
自分の大切な人が、自分の知らない世界を持っているというのを知ることは、時として人をひどく苛立たせます。そしてそれだけでなく、そういう事に苛立つ自分に戸惑い、またさらに苛立つのです。
息子がどんどん逞しくなり、色々な人々から愛されるようになっていくことを祝福してあげなければいけないのに、どうしてもそれが出来ない。父は自分がエゴイスティックであることを嫌というほど分かっていて、それでもどうしてもそういう自分を抑えることが出来なかったのでしょう。
どんなにその人のことを思っていても、全ての時間を二人で共有することが出来ない以上、程度の差こそあれ、時間の溝を埋める努力は結局は空回りに終わってしまいます。
でも、そんな空しい努力を止められない人々にそっと救いの手を差し伸べるのもまた時間です。お互いが「一人で立つ」存在であることを認め合うのにもやはりゆったりと流れる時間が必要なのです。
息子にとって父は絶対的な存在です。憧れ、憎しみ、そしてどうしても嫌いになれない存在。父から離れよう離れようとしても、いつのまにか父のそばにいる自分に気がつかされます。
息子にとっても父にとっても、お互いがお互いに真正面からぶつかり合う時に何よりも本当の自分に向かい合うことになります。
僕にはあの父親は正義感とヒューマニズムに溢れた弁護士であると感じられました。そしてあの二人はこの後もあの日と同じようにお互いをぶつけ合いながら、そこから見える自分の姿と向かい合ったのだと思います。
とても心地の良い作品でした。
99/04/06(火) 00:58

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