「容疑者Xの献身」から

人生に絶望し自ら命を絶とうとした男を偶然隣室に越してきた母娘が訪ねてくる。明るい母娘の声に引き戻された男の生活は、人生は、彼女たちによって一変する。
あらゆる人やモノとの関りを断ち、独りで死のうと決めていた男の耳に二人のいきいきとした声が聞こえてくる。人が生きている声、生活する音、潤い、風景、季節の移り変わり、日常、成長・・・

彼の孤独や絶望の全容を理解することなど到底出来ないが、そこにたった一筋の光明さえあれば人生は劇的に変わるのかもしれない。
生の実感を得るきっかけが何であるかは人それぞれだけど
「たった一人で孤独と絶望の淵で死んでいく人生」と「犯罪に手を染めて初めて得られる生の充実」のどちらが、この世界には必要なんだろうという、答えのない問いを考えてみたりしている。
それから石神が殺めてしまった名前も顔も無い男の人生にも思いを致さねば。

最近は「自己責任」の名のもとに
「名前や顔を持たない人間は、たった一人で孤独と絶望のうちに死ぬべきだ」
という短絡的な考えがこの国を支配しているようで息苦しい。

答えの無い問いを皆で考え続けることことこそが共同体の役目のはずなのに。

もう少し考え続けてみようと思います。

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