三年生になった娘が同じクラスの男の子から手紙をもらった。僕にもあっさり見せてくれて、読んでみたらラブレターだった。まるでラテン系の男性が書くような熱烈な文章で、父親目線のバイアスを差し引いても、それは紛れもないラブレターだった。
とうの娘は淡々としていて、むしろ双子の妹の方がはしゃいでいたくらいだった。ちゃんとお返事を書く、と本人が決めて、誰にも相談しないで書いた手紙を、これもあっさり読ませてくれた。
それがもう、大人も顔負けの端正な手紙で、浮かれるでもなく、拒絶するでもなく、二人の共通の記憶や、彼女が彼のことをどう思っているのかや、これからどうしたいのかが丁寧に(文章も文字も)書かれていて、控えめに言って、かなり驚いた。
男性から思いを伝えられた時の女性の振舞いにはその人の本性が現れる。ロマンティストで単純な男の思いを真正面から受け止めてくれて喜んでくれる返答も嬉しいけど、それは確率的にはそう多くなくて、大抵の場合、困惑とか躊躇いとか自重とかがベースになった差し障りのない反応が返ってくる。その時に、ただの定型文のような返しではなく、何かを達観したような冷静さや、さりげない優しさや、ちょっとしたユーモアが含まれていたりすると、男としては「あぁ、やっぱりこの人はとても素敵な人だなぁ。」と改めて思ったりする。あるいは「僕にはまだ、こんなに大人な女性とお付き合いするだけの経験がないなぁ」と潔く諦めたくなったりもする。
そういう振舞いということで思い浮かべたのが「Jam」。
楊徳昌の右腕だった陳以文の98年の初監督作品。楊徳昌譲りの良質な群像劇で台北に生きる何人かの人間のリアルを厳しくも優しいまなざしで切り取っている。
娘の出来事を機会に、今回20年以上を経てDVDで再見してみて、やっぱりよく出来た作品であるということと、その他、幾つかの発見があった。
この作品には5組のカップルが登場するのだけど、そのうち3組は美貌の映画製作会社副社長シュエと3人の男の組み合わせだ。
彼女がとにかくとても奇麗な大人の女性で、分別があって、分別があるからこそのもどかしさや逡巡を抱えていて、それが3人の男性との関係に反映されている。まだ成功していない映画監督のチュンの夢を支援したいと考えながら、会社社長でビジネスパートナーであるリュウとの交際も続いている。そして、ふとしたきっかけで、この映画の主人公の一人である若者カイを誘って逢瀬をしてみたり・・・
陳以文は作品に寄せてこんな言葉を残している。
「経験を獲得することを”成長“と呼ぶ。だが、経験を獲得したと思った途端に”純粋な心“を失ってしまう。それなら、・・・”純粋な心を取り戻す経験“こそ本当の成長というのだろう。」
この映画の中で最もこの言葉にふさわしいのが彼女だ。
彼女はカイとの「一時の火遊び」を経て改めてチュンのもとに戻る。彼女のことを忘れられないカイは花束を持って彼女の家を訪ねる。チュンと二人で在宅していた彼女は優しく、動揺することなく、そして“温かい冷たさ”を湛えながら彼に花の礼を言い、彼をやり過ごす。
「誰か来たの?」とチュンに尋ねられて彼女はこう答える。
「ううん、何でもないわ。お花屋さんが花を届けに来たの。」
その会話をカイは玄関越しに聞いている。
マンションの玄関、ドア越しの会話、男と女・・・。楊徳昌が好んだ装置が正しく配され、正しく使われている。要所要所に登場するジャムも効いている。
久し振りに再見してみると彼方此方に楊徳昌組の顔がチラホラ見える。そして楊徳昌本人もチラッと登場していた。台湾マフィアの会食シーン。実際、楊徳昌みたいな風貌のマフィアがいたらめちゃくちゃ怖いかもしれない。北野武の作品に出てくるヤクザの親分のような怖さ。
陳以文の方は「エドワードヤンの恋愛時代」に出演しているらしい。今度確認してみたい。
娘の手紙をきっかけに、久し振りに再見出来て良かった。
子供特有の純粋さを失いながら経験を積んで成長を積んでいく彼女。そして更にその先に、大人になったときに、こんな作品や、この作品の中の登場人物のような人と出会って、そして彼女が、また彼女だけの純粋さを取り戻していってくれることを心から願っている。