「トリコロール」に登場する腰の曲がった老婆。
「デカローグ」の何も語らない長身の男。

キェシロフスキの映画にはシリーズに共通して登場する人物が巧みに配置されています。彼らをどんな視点で見るか、彼らにどう関るか、で登場人物たちの運命はそれぞれに異なる方向に転がっていきます。
これはシリーズ映画の技法としてユニークであると共に、人生における真理でもあります。目の前に現れた人とどう接するか。その時の気持ちや状況によって選択肢は無限にあります。その選択肢に合わせて進路も無限に分岐していきます。運命に導かれて一つの道を進んで入るように見える人生には実はパラレルなもう一つの人生が必ずある。それがキェシロフスキの語りたかった真理です。
特に人。人との関り方は自分の考え方や行動様式にも大きな影響を与え、また相手にも同じような変化をもたらします。そういう風に相手を少しずつ明るい方向に導いてくれる人もいれば、暗い穴の底に引きずり込んでいく人もいます(たとえばデカローグの第五話のように)。
そのあたりを分かりやすくエンターテイメントに仕立てたのがキェシロフスキの系譜と言っていいトム・ティクヴァの「ラン・ローラ・ラン」ということになるでしょうか。
僕はいつも自分を明るい方向に導いてくれる人に感謝をしています。


「ラン・ローラ・ラン」
https://cinemanokodoku.com/2018/12/08/lola/