→ジョージ・ルーカスからディズニーへ

ディズニーによる『スター・ウォーズ』の”建て直し”はそうした状況下で始まりましたが、再始動に向けた人選を見ても懸念は募るばかり。
監督に抜擢されたJ.J.エイブラムスはこれまで幾つものシリーズ物を再生させて来た実績を持ってはいますが、常に自身の監督作品は留保つきで評価されてきた人物です。有体に言ってルーカスに互するイマジネーションの持ち主とは思えず、何よりも彼が銀河大戦を舞台に何を語りたいのかが全く見えてこない。
万人受けする「シリーズ最新作」を作るのには最適の人物なのでしょうが、観客がタイトルに込めた期待に応える力量は、少なくともエイブラムスの実績からは見当たりません。

予想通り、『エピソード7 / フォースの覚醒』は、直前にエイブラムスの手がけた『スター・トレック』同様、シリーズのそつのない焼き直しに終始します。
決して駄作でもつまらない映画でもありません。プリクェルを通して終始感じられた、粗筋をただ追わされているかの様な退屈さは払拭されています。演出上のもたつきもなく、新規登場のキャラクター達はそれぞれに魅力的で可能性を感じさせ、旧作への目配せもふんだんに配し、映像的な驚きの連べ打ちの末に観客が満足できるだけのカタルシスも用意されている。
エイブラムスは確かに、シリーズを1983年当時の水準に戻し、初期シリーズ鑑賞時の興奮を再現する事には成功したと言えるでしょう。観客は「かつて見た”あの”スター・ウォーズ」の帰還に喝采をあげたのです。

私が『フォースの覚醒』を最初に観た時の感慨もそういうものでした。BB-8の愛嬌やスターキラー衛星の圧倒的迫力に初めて触れた楽しさよりも、というかそれも含めて、お馴染みのSW世界に接する事にできた懐かしさが、鑑賞後の余韻の大半を占めていた事を覚えています。
けれど、あくまでそれは”懐かしさ”。幼少期に触れた最初の『スター・ウォーズ』、後に『新たなる希望』と副題をつけられた映画に初めてまみえた時の、目の前に膨大な”世界”と”物語”が開けた時の驚きと畏怖の念はそこにはなかったのです。
「今回はエピソード4の再現版か、じゃ次とその次はエピソード5と6を再現して大団円にするんだな」。当時私を含めた大多数の予想はこんなものだった筈。判り切った結末に向かって敷かれたレールに乗せられるというプリクェルの再現を、当時のファンは覚悟したのでした。
それを望み通りと満足した人、物足りなさを感じた人、観客によって様々でしょうが、私は初見の興奮が冷めた後に一抹の不安を感じました。9作に渡るサーガの第三幕が第一幕とそっくり同じでは、全幕通した物語としての大団円が存在しないことになる。『スター・ウォーズ』は結局、三本の斬新な映画の後に蛇足が延々と続くシリーズとして記憶されることになるのではないか?

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