2000年を超えてからのディズニースタジオの躍進には目を見張るものがあります。それ以前のディズニーはと言えば、一時期は好調だったニュークラシック路線も陳腐化し、タッチストーンに頼っていた実写映画路線にも陰りが見え、専らPIXARのCGIアニメーション映画の興収で糊口を凌ぐ有様。
ところが経営者が代わり2006年にPIXARを傘下に含めた頃から風向きが変わります。PIXAR買収の余禄で自社のアニメーションスタジオも劇的な品質向上を達成。2009年にはマーベルを統合しMCU作品群を続けざまに送り出し、旧作アニメーションの実写化も(程度の差はあれ概ね)好調と、今では映画館でディズニー作品がかかっていない日を探すのが難しい程になりました。

そんなディズニーが満を辞して2012年、ルーカスフィルムの買収に成功します。お目当ては勿論SFシリーズの金字塔『スター・ウォーズ』…有体に言ってしまえば『スター・ウォーズ』が生み出す巨額のフランチャイズ利益です。
年齢的にも創作意欲的にも限界を迎えたジョージ・ルーカスが、遂に虎の子を譲り渡す相手としては、潤沢な製作資金とスタジオの方向性を鑑みて現在のディズニーは最適解ではありました。

正直に言って、ディズニーによるルーカスフィルム買収の発表を聞いた時には、私自身は懸念と期待の入り混じった複雑な心境でした。
懸念の方は、所謂ディズニー商法に『スター・ウォーズ』が取り込まれ、”愛すべきキャラクター”達の見せ場を満遍なく配した砂糖菓子の様なものに変質してしまうこと。もともとキャラクタービジネスであったマーベルのアメコミヒーロ作品と違って、『スター・ウォーズ』のキャラクターは物語に奉仕する存在です。同様の手法は作品世界を冗長で緊張感の欠けたものにしてしまうでしょう。

一方で、ルーカス自身には望むべくもなかった、「既に冗長で緊張感の欠けた存在になってしまっていたスター・ウォーズ世界の刷新」という、ごく微かな期待もそこにはありました。
認めるには辛い事ですが、はっきり言って「プリクェル」と総称されるエピソード1~3は出来が悪かった。CGIという魔法の杖を得て作品世界を初めて思い通りに描く機会を得たルーカスは、なまじ自在な絵作りが可能であるばかりに、物語を安直に「そのまま絵にする」事だけに拘泥し、その物語を如何に語るかへの配慮を蔑ろにしてしまいました。残酷な言い方をすれば、ルーカスの達成した表現のレベルに、ルーカス自身の話術が及ばなかった、という事でもあります。
世界を豊穣に重層的に彩る筈だった三本の映画は、むしろルーカス自身によるイメージの固定化により、世界を薄っぺらな「正史」に押し込める結果となってしまいました。

プリクェル公開と並走する様に、『指輪物語』と『マトリックス』というふたつのシリーズが公開され、以前の三部作が獲得していた評価を質的にも興行的にも上回る形で奪っていた事も象徴的でした。物語の厚みと流麗な語り口の点では『指輪物語』に、イメージの多様性と革新的・挑発的な物語展開の面では『マトリックス』に、プリクェルは遠く及ばなかったのです。
既に『スター・ウォーズ』は映画界に革新と興奮をもたらす存在ではなく、既存のファンに向けた見た目だけが豪華な付け足し以上の意味を持たなくなっているという事を、3本のほぼ同時に始まり完結したシリーズはまざまざと露呈してしまったのでした。


→『フォースの覚醒』 J.J.エイブラムスの”復旧作業” へ