→エイブラムスからライアン・ジョンソンへ
彼の手になるスター・ウォーズ最新作、『エピソード8 / 最後のジェダイ』は、そうした期待に十分に応える傑作として登場してきました。「観客側の期待を全部まとめてひっくり返す傑作」と言った方が正しいでしょうか。なにしろ前作において提示された、後に明かされる筈だった数々の謎やヒントが、そっくり不要なものとして投げ捨てられてしまうのですから。
前作で唐突に登場した悪役の首領、最高指導者スノークは、その来歴や目的を明らかにする前にナンバー2にあっさり殺されてしまいます。主人公レイにまつわる出生の謎は、前作のほのめかしを受けた観客の様々な憶測を全て裏切り、「普通の両親の間に生まれた普通の人」であると説明されます。クラウドシティのどこかに打ち捨てられたライトセーバーがマズ=カナタの物置にしまい込まれた経緯も語られず、前作で唐突にショッキングに殺されたハン=ソロについても『最後のジェダイ』では誰も一瞥だにせず話題にも昇りません。前作で敷かれたレールは取り払われてしまったのです。
前作で提示された謎かけを新作が解き明かす式のシリーズ進行は、確かに新作公開までの間はとめどなく想像を膨らませる楽しさがありますが、いざ映画が公開され謎が解かれてしまった後には何も残らないという欠陥も併せ持っています。言ってみればプリクェルの失敗はその典型例。ジョンソン監督はその愚を繰り返す事なく「ファンへの目配せ」を一切捨て去り、”物語ること”それ自体に注力してみせたのでした。
思わせぶりな最高指導者は映画のもう一人の主人公カイロ=レンが成長するための障害として設定されたもの。ならば映画では”成長”そのものに集中する。障害の背景はどうでも良い。
レイが追い求めるのが自身の出自や血縁との絆なら、それを見つけて安住してしまうと同時に彼女の成長は閉ざされる。レイには「庇護者のいない天涯孤独の身」を自覚し、自らの足で先に進んで貰わねばならない。
同様な決断は他のキャラクターにも及びます。血気盛んなエースパイロットには血気に逸るが故の大失態を経験させ、頑迷な臆病者に見えた上長の老獪な一面と尽きぬ情熱を垣間見せて成長を促します。善悪の判断だけを基準にひたすら”悪”から逃げ回って来た脱走トルーパーは判断基準の根幹を揺さぶられ、能動的に”善”を選び取る機会が与えられる。ジョンソン監督は登場人物たち全員を自己と徹底的に向き合わざるを得ない状況に落とし込み、「彼らが”実は”何者だったのか」的な種明かしを脇に置いて、「彼らが何者になろうとしているか」を掘り下げる事に映画の全ての要素をつぎ込んだかの様です。
→『最後のジェダイ』 ルーク・スカイウォーカー