「グッド・ウィル・ハンティング」
天才的な頭脳など持ち合わせていなくても、自分の中に硬くて小さな殻を持っている人は沢山いると思うのです。
「百本の映画を見るよりも一人の友人に出会うことで得られる驚きの方が刺激的だ。」
と言った友人と
「僕は映画を信じている。本当の人生は映画の中にこそあるのだから。」
と言った映画監督がいました。
数字や時間に追われ自分の気持ちを思うように伝えられない現実と、映画の中の現実と、どちらが僕にとっての「小さな殻」なのか?宝石のように散りばめられた印象的な台詞の一つ一つを味わいながら、そんな事をずっと考えていました。
類まれな才能と、不幸な境遇を背負った若者は自ら「小さな殻」に閉じこもり、他者との関わりを意識的に遮断します。明晰な頭脳をもってしても、解き明かすことのできない(容易でない)、もしくは解き明かすことに意味がないものが存在するということを知ってか知らずか。
彼のまわりには必死になってその事を彼に伝えようとしてくれる人々がいます。
まるで家族のように。
一番泣けた台詞は親友チャッキーの「一番のスリルは・・・・」
二番目はショーンの2回目のカウンセリングの台詞「ミケランジェロの壁画の匂いは・・・」
チャッキーはウィルを”Brother”と、ショーンは”Son”と呼んでいました。
整合性を求める科学とは違い、その存在自体、様々な矛盾を抱えている人間。
欠点が愛しかったり、好きなのに素直になれなかったり、親友だからこそ突き放したり・・・。人間はその寛容さでその矛盾すら(矛盾こそを)エネルギーに変えてしまうことができるようです。
その寛容さがあれば、きっと科学だって、彼に色々なことを語りかけてくれることでしょう。科学とヒューマニズムってそんなにかけ離れたものではないはずだから、もともとは。だから、彼はエンディングでどちらかだけを選択したのではなくて、両方を同時に、初めて自分のものにしたのだと思うのです。
「100本の映画」と「一人の友人」僕にとっても両方が同じくらいに大切です。
98/05/21(木) 19:17