学んで育てる(「グッドウィルハンティング」)
「グッドウィルハンティング」には主人公の才能を見出す数学者と、それから彼と通じ合い、彼の心の傷を癒してくれる心理学者が現れる。
どちらもが研究者として、教育者として、人間として、とても魅力的だ。
翻って、今の日本では、大学が研究の場であると共に教育の場でもあることに否定的な人もいる。
「出来の悪い学生に構っていては研究が疎かになる。」
そんな意見だ。
そのことに関して僕の恩師は当時、こう言っていた。
「君たち学生と接して、君たちと議論をして、君たちを育てることは私の研究の一部だ」
先生は実際にそれを実践され、出来の悪い学生の典型だった僕たちを鍛え、導き、そして同じ学問を志す研究者として扱ってくれた。心から感謝している。
客観的な純粋科学と、一般的な倫理や道徳は、原則としては区別されるべきだが、実は科学を究める上での思考のアプローチを追及すると、そこには個人を尊重し、ありとあらゆる意見に偏見なく公平に耳を傾けるべきだという考え方が立ち現れてくる。価値観や既成概念の押し付けではない。先生はどこまでも科学を探求する研究者であり、同時に教育者だった。
正しいという字は一つのところに止まる、と書く。
流行や損得や政治の干渉に一切左右されず、一つのところに止まり続ける人こそが真の研究者だ。
一人の若者を研究者として、人間として未来に導いたように、大学はそこに止まり続け、永久に研究の場であると同時に教育の場であって欲しい。