「親子の絆」といえば?(「クレイマー・クレイマー」「幸せのレシピ」「湯を沸かすほどの熱い愛」)

親は少しずつ子に育てられて、少しずつ親になっていく。特に父親はそうだと思う。「クレイマー・クレイマー」のダスティン・ホフマンが映画の最初と、最後に、それぞれフレンチトーストを作るシーンが好きだ。(卵を片手で割って)時々カッコいい所を見せるのではなく、(丁寧に両手で割って)日々を積み重ねることが大事。日々を積み重ねながら彼は父親になっていく。
遺伝とか血縁とは別に、親子が最も基本的な人間関係だとすると、遺伝学上は親子でない親子にこそ、その断片が見えてきたりする。
「幸せのレシピ」(僕はリメイク版のこちらの方が好き)のキャサリン・ゼタ・ジョーンズは、自分が完璧になれなくても、それから姉のようになれなくても、女の子に寄り添うことが出来る、そんなママもいていいのだと、必要なのだと、姪っ子に気がつかせてもらう。
それから「湯を沸かすほどの熱い愛」の中で杉咲花演じる安澄が「私にもお母ちゃんの遺伝子、ちょっとだけあった。」って絞り出すように言う言葉にはお母ちゃんが毎日毎日ご飯を作って、娘を起こして、学校に送り出してきた積み重ねの重さを感じることが出来る。
親子という関係や“血”の呪縛に囚われたり、逆に盲目的にそこに安住しようとしたりする人々。それに対して親子の本質は「ひとりの人間と人間」なのだと実感して互いに向き合おうとする人々。
そのどちらもがリアルで、どちらにも苦悩はつきものだけど、同じ苦悩なら僕としては、自分は自分らしく、娘たちにはどこまでも自由に彼女たちらしくあって欲しいものだと思っている。

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