忘れられぬ人々

ちょうど最近、村上春樹の「約束された場所で」を読み終えました。何が善で何が悪なのか、という問題は本当に難しい。難しいからこそ、その問題を自己の中だけで完結することも出来ないし、自分以外の誰かに全面的に委任してしまうわけにもいかないのでしょう。

「人がしたことは全て善になるんだ。」

悪徳商法の強烈なカリスマ社長阿久津の言葉には詭弁と一言で片付けられない凄みがあります。

一生懸命に救った人間が将来とんでもない殺人鬼になったとしたら、救った行為自体は善なのか?悪なのか?はなから善や悪という価値観を明確に絶対的に規定することなど出来るはずもないのですが。
そういう行為を他律的に委ねてしまう危険性を人は常に持っているようです。先の大戦がそうであり、カルト教団に入信し身も心も捧げてしまう人々もそうです。
戦場で命を救われた木島は帰国した後にやくざになり、人には言えないようなこともしてきたといいます。戦場で彼を必死に救った戦友の行為は善だったのでしょうか?悪だったのでしょうか?そもそも彼らが命がけで守リ抜こうとした日本は、果たして彼らが命をかける価値のある国に成長したのでしょうか?

「若いうちは何度でもやり直しがきく。」

救急車、朦朧とする意識の中、大切な人の存在を確かに感じる若者。考え悩みつづけることを共にしてくれるパートナーの存在だけが希望に繋がるのでしょうか。本当に支えになるのはいつも絶対的に正しい道へと導いてくれる人ではなく、時には自分と同じように悩んだり苦しんだりしてくれる人です。「おかえり」の夫婦も、そういう関係だったなぁ、多分。

芳醇なストーリーを象徴する戦友の形見のハーモニカ。戦争、犯罪、人種、宗教、世代、時代・・・。ケン坊はあの曲が、自分の民族の“魂の歌”だという事に気がついていたのかもしれません。

無機質で閉ざされた不気味な空間を描くと篠崎監督は天下一品です。「おかえり」の妻が診察されるシーンなど、あの異様な悪徳商法の事務所の雰囲気や研修の様子と似ていました。安易な結末ではないのに希望をキチンと感じることの出来るところも「おかえり」との共通点です。

「月とキャベツ」からグッと大人っぽくなってポッチャリした真田麻垂美
「おかえり」での軽妙な演技も魅力的だった青木富夫(僕は小津作品は一本も
見たことないのですが)他、さすがの円熟した演技を見せてくれたベテラン俳
優たち。
そして篠田三郎さんのキャスティングは見事の一言に尽きます。
最近こういう誠実そうな人が、どす黒い深い闇のようなものを感じさせる役に使われているのをよく見かけます。これも時代でしょうか。えなりかずきとかが、サイコな猟奇犯とか演じたら怖いかも・・・怖くないか(^_^;)。
01/10/30(火) 19:00

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