「ラブ・アンド・ウォー」

文豪ヘミングウェイの若き日の物語というだけでも何だかワクワクしてしまうのです。

病室でのポーカーの場面、自殺した戦友の手紙を代筆するシーンなど、決して新しくはないのですが、とても印象的です。巨匠と呼ばれる人が、きちんとした原作に真正面から取り組む時にだけ許されるのでしょう。「安心してみられる映画」「映画らしい映画」という表現がピッタリです。

実際「ラブ・アンド・ウォー」(原題はIn Love And War)なんてタイトルでクリス・オドネルとサンドラ・ブロックを使ったりしたら、観客の失笑を買う作品になってしまう危険性は十分にあるはずです。
この映画がそうならなかったのは「死と生が向かい合っている。」ということを「ラブ」の方を幾分美化させてはいるものの、キチンと描いていたからなのでしょう。
未熟な青年が、戦争を通して、一人の女性を通して、成長をしていく様子がよく伝わって来ます。

「極限状態で結ばれたカップルは長続きしない。」

というのは別の映画での台詞ですが、やっぱりサンドラ・ブロックという人は極限状態での強さが印象に残るので、こういう役がぴったりなんでしょう。
「戦争のせいだったんだ(二人が結ばれたのは)。」と言って、アグネスを許さなかったアーネスト。しかし、いつまでも怒りに駆られて彼女を許さなかったわけではありません。極限状態が二人をそうさせたのだとしても、その関係を続かせることだって出来た筈です。
怒りに駆られる自分を知り、彼は自分が男としてはまだまだ未熟であるということに気がついてしまったのではないでしょうか。本当なら彼女と結ばれた後、次第にそういう自分の未熟さを知る筈だったのに。

「妻は尊敬するが、愛人は甘やかす。だが本当の愛を注ぐのは母親だけだ。」

これは映画の最初の方でイタリア人の男を指して看護婦が言う台詞です。上手い台詞で気に入ったのですが、僕は母親への愛情が最高の愛情だという風にはとりませんでした。妻への愛情も愛人への愛情も、一つの形としてやっぱり必要だと思います。

ヘミングウェイは、時には愛人のように、そして母のように、ありとあらゆる愛情を注ぐことの出来る人を探し続けたのでしょう。何れにしろ、一人の女性との出会いが彼の生き方を決定づけたのは間違いありません。
97/11/04(火) 00:41

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