ゲンかつぎ(「麻雀放浪記」)
誕生日だった。
自分が生まれた日はどんな日だったのか?
晴れていたのか、雨だったのか?
どんな病室で、どんな先生にとりあげてもらったのか?
その日はどんなニュースがあったのか?
ふと、そんなことを考える。
そういえば、生まれた日の新聞の一面(のコピー)を取り寄せることの出来るサービスがあったが、今でもあるのだろうか?
天気もその日の出来事もよく知らないが、僕が生まれたのは午後2時58分だったそうだ。2-5-8 の並びは麻雀でいうところのいわゆる「筋」というやつで、賭け事、勝負事が好きで麻雀も好きな父親が半分おふざけで出生届にその時間を記入したらしい。
その後も父は僕を勝負の「験担ぎ」によく使っていた。
馬券、宝くじ、パチンコの台・・・。誕生日や名前の読みやイニシャルを組み合わせて買ったりしていた。
「よしよし。よくやったぞ。」
勝つと僕のおかげだと褒めてくれて、何だかよく分からないけど僕も嬉しかった。
「麻雀放浪記」の中にも験担ぎが沢山出てくる。それは勝ちパターンだったり、流儀だったり、不文律の礼儀だったりする。リアリストの勝負師たちは分かっている。運だけを頼りにする者に勝利の女神は微笑まないことも、それから同じ分量の運を味方にすることが出来る者もいれば自分で運を手放してしまう者もいることも。
彼らは自分の運命をサイの目にかける。
坊や哲と上州虎、ドサ健とまゆみ、上州虎と女衒の達。
「賭けるかい?」
ポーンと己を神様にあずける様が小気味良い。
さて、僕の父親はと言うと。
ずっと勝負事に息子をかりだしているのだと思っていたのだけど、今は少し違うことも感じる。彼は、僕のために神様の力を味方につけようとしてくれたのではないかと、ふと思ったりする。
自分ではどうにもならない時の運。そのことをイヤと言うほど知っている父。
「お前には幸運の神様がついているんだぞ。」
って僕に何度も言っていてくれたのかもしれない。
昭和一桁生まれ、不器用な父親。父の誕生日は僕のちょうど1ヵ月後だ。