ソーシャル・ネットワーク
並行して語られる二つの訴訟。最初のうちはその違いがあまりよく見えてきません。きっとその違いが分からないうちはマークの心の内を理解することは出来ないのでしょう。
ドッグイヤーを超える乗数的なスピードで進化するビット・ビジネスの世界。ボールが止まって見える天才打者の見える世界は、他の誰とも違うわけで。真に世界を変えることの出来る人物はひどく孤独なものなのかもしれません。
そんな彼の感性のポジティブな部分が見えたシーンが一つありました。
「ようこそ!Facebookへ!」新しい仲間の「面接」のシーン。寄宿舎での悪ふざけと少しも変わらないノリでのゲーム感覚、余興感覚でのプレイヤー選び。
僕はそれを目にしたエドゥアルドの反応が好きでした。
自分には到底及ばない“クレイジー”なマークの発想。驚き呆れることはあっても、僕は彼がマークのことを好きで好きで堪らないのだということをあの表情を見て確信しました。二人にとっては何も変わらない。大学中の女の子の写真を一晩でハッキングしてしまったあの頃と。
もうひとつ好きなシーンは、ウィンクルボス兄弟を門前払いする学長(理事長だっけ?)のシーン。時代が変わり、メディアが変わっても、本当の価値を生み出すものと、見せかけとの違いを瞬時に見抜く目を持つ人はキチンといる。痛快でした。
上辺のプライドや権力や名誉や手下が欲しかった者と、たった一人との友情が欲しかった者との違い。伝えられるニュースは「双方ともに金銭で和解」となるのだろうけど。
学生の頃からずっと変わらない(変われない)マークと、挫折を知り変わらざるを得なかったエドゥアルド。装置は変わっても、紛れもなくビターな青春をキチンと表現した青春映画の王道と言って間違いありません。
変わらないマーク、変われないマーク。
たった一人の友達に。たった一人の恋人を。
何億人もの人のそんな思いがエンジンとなる新しいソーシャルを世に送り出した彼自身は、これからもずっと変わらず、たった一人でディスプレイと向かい合うのでしょうか?