書き残すこと(「ラストレター」)
新しい年が来て、少し自分が老いることについて考えたりしている。
10年後、僕が60になると、娘たちは18。青春の真っ只中だ。かけがえのない友人に恵まれ、恋をして、沢山のことに心を動かされる。音楽、美術、それから映画。
そんなことは、ほぼあり得ないくらいの夢想だと分かっている。分かっているけど。
その時に娘たちと一つの作品について語り合えたり、そこから広がる世界を分かち合えたり出来たら、どんなに楽しいことだろう。「映画好きなら、この作品は見ておきなさい。」なんてことは絶対に言わない。彼女たちが自分の意志で選び出会うことの出来た作品と僕のそれとが重なることがあればラッキーだ。
その時に僕の心が岩のようでは決して豊かな時間を彼女たちとの間に持つことは出来ない。狭量で無感動で偏見に満ちた心では。
だから僕は書くことにしている。
その作品に触れたときに自分はどう感じたのか、どんな人を思い、どんなことに心を衝き動かされたのか。それを出来るだけ一人称で書き残しておきたい。切れば血の出る自分の言葉は少しずつ老いていく僕のことを支えてくれるだろう。自分のことを内側から温めてくれる記憶として僕を助けてくれるだろう。
そして、実は僕は、それがどこまでも僕の中だけに留まるちっぽけなものだとは思っていない。
「ラストレター」で福山雅治が演じた小説家乙坂が書いた私小説。一人称で語られる言葉は、強大な暴力や悪意の前では、ほぼ無力であったりする。因縁の男、阿藤が彼に浴びせた全否定の言葉のようなものの前では。それは、誰かを屈服させ、跪かせ、支配しようとする者の前では確かに無力かもしれないけど、だけど、そういうものとは無縁の、誰かを愛しいと思い、大切だと思う気持ちこそが実はそういう理不尽な暴力の前で力を持つことが出来る。そして彼の言葉は最愛の人とその娘を温め続けた。支え続けることが出来た。
そんなわけで僕は
評論家めいたことを書いたり、誰かと言い争ったりするのではなく、ちっぽけな日常の中で自分が心を動かされた何かについて少しずつ書き残していくことにする。多分それが、老いていく自分と、大切な人を支えることになるのではないかと思っているので。