夜明けのすべて

2年くらい前から「歩くこと」が趣味になっている。
平日休みの日の午前中1~2時間くらい、知らない街を歩く。
あまり大きな道路ばかりでなく、人気が無いところはあまり行かず、人の生活の匂いのする住宅街のようなところを歩くのが好きだ。
都心から少し離れた場所ならば、小さな町工場や事務所なんかがあって、当たり前だけど、そこでは誰かが働いている。グローバルとか、DXとか、リモートワークとかとは無縁のそういう職場には、それでも大企業にはない多様性があって、老若男女、個性豊かな人たちが働いていたりする。そういう人を見かけて、暫しの間見ているのが楽しいし、何なら、羨ましくなったりする。ダイバーシティとかのお題目を掲げている都心の企業の方がずっと画一的で面白みに欠けていて、そういう会社の方がユニークで活気に満ちていたりする。
多様性
昔はもっと多様性があった。
能力や地位や、その他のマウントを取れる要素で上位にいることなど求められず、ただ、そこにいることを当たり前のように許される人が以前はもっとたくさんいたような気がする。
たとえば、じゃりン子チエに出てくるような人たち・・・もちろん、この映画に出てきた人たち・・・。
多様性を否定する人はそんなに多くないだろうけど、それを担保するための拠り所はそれぞれに違うような気がする。経済的な成長こそが多様性を受容する受け皿なのだと言い、トリクルダウンなどというまやかしを唱える人々が少し前は幅を利かせていた。もう、うんざりだ。
9つも10も定量目標を掲げて、お揃いのバッチかなんかつけて目指す多様性ではなく、どんな人でも、何もしないでも、誰かの役に立っていなくても、ただそこにいていい。それが本当の多様性で、そうでなくては面白くない。豊かでない。
あぁ、投票に行かなきゃなぁ、なんて、そんなことを思いながら心地良く映画を見ていた。
「夜明けのすべて」というタイトルに連なる、栗田化学の社長の、今は亡き弟さんの、宇宙に寄せた、この世界に寄せた語りが良い。
栗田化学という会社もとても良い。
寄り添って、支え合う、全ての人たちが良い。
普通の町の、そこに住む人々の日常が良い。全てが愛しい。

何の前知識もなく、ただタイトルから、大好きな村上春樹の「アフターダーク」のようなお話を想像して見に行った。何か、どこかで繋がる、心の奥の方を温めてくれるような読後感が、この映画にもあった。とても良い映画だった。

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