孤独のグルメ
「俺は美味そうに食べるから、後から来た客は、皆、俺と同じものを注文するんだ」
が、父の口癖で、そんなことを自慢するのは、ちょっと変わっていると感じつつ、子供心に、それはそれでカッコいいと思っていた。
一匹狼の営業だった父は神田、上野あたりに幾つか馴染の店があって、僕が上京してから、そのうちの幾つかでご馳走してくれたりもした。確かに美味かった。
そう言えば、父も下戸だった。
「あれこれ喋ったり、話しかけたりせず、サッサと食って、ごちそうさん、と言って金を払って店を出る。それが良い客だ。」
もよく言っていた。酒を飲まなければ、自ずと回転も速くなる。
五郎さんほど饒舌ではなかったとしても、父は父で、きっと心の中で、目の前の料理についての独白を繰り広げていたのではないか。そんなことを思う。
あの頃の父より、多分今の僕の方が年上になって、最近の僕はと言うと、すっかり映画館から足が遠ざかり、街歩きに勤しんでいる。「ぶらり途中下車」の時もあれば、たまに「孤独のグルメ」になったりもする。
もちろん、長居はしない。サッサと食って、ごちそうさん、と言って金を払って店を出る。
「また来たくなる店が増えた」
と、五郎さんはいつも言うが、でも同じ店をまた訪れることは決してない。
そして誰かを伴って、食事をすることも決してない。
そこには余白という名のファンタジーがある。
この作品では少しだけ、そんな彼の余白が垣間見えたりもした。
人生の折り返し地点を過ぎて、組織の中で(常にだれかと一緒に)時間とカネに縛られるばかりの毎日とは違う生き方も意識するようになってきた。
一人で明るいうちから知らない街を歩き、お腹が空いたら、自分の嗅覚を信じて初めてのお店に飛び込んで、黙々とご飯を食べる。サッサと食べて、ごちそうさん、と言って金を払って店を出る。
憧れる。
もう一つは、映画ならば、余白の部分。それが僕にとっては本編だったりする。
一人で見つけた店、とっておきの店に、大切な誰かを誘う。少しだけ先回りして下見をしておいた、味見をしておいた料理たちをご馳走しながら「美味しいでしょ?」と話しかけて、一緒に舌鼓を打つ。そんなことが月に1度くらい。
懐かしいおふくろの味だったり、大切な友人への心づくしだったり、パートナーと共に過ごす時間だったり・・・
一人で食べるご飯(至福の贅沢)のその先に僕の本編はある。
そんな余白を感じさせてもらうことが出来た。良い映画だった。