マルコヴィッチ→S.ジョーンズ→コッポラ(「マルコヴィッチの穴」「SOMEWHERE」)
他所で「マルコヴィッチの穴」の話題になり、最近ちょっと話題になっているスパイク・ジョーンズの、この動画へと繋がった。
相変わらずの映像体験を提供してくれて嬉しいなぁと思っていたら、今度は「彼ってソフィア・コッポラの旦那なんだね。(2003年に離婚)」という展開に。
才能で結ばれるカップルっていいなぁと思うのだけど、もしも「この二人、どっちの方が才能があると思う?」と聞かれたら僕は「コッポラ」と答える。
ジョーンズの作品にあるのは「極めて巧妙な計算」で、コッポラの「独創性の溢れたアート」とは少し趣が違うように僕には感じられる。それは僕個人の感覚だし、それでも彼が優れたクリエイターであることは異論の余地が無いし、彼の作品は好きなんだけど。
でも心を揺さぶられるのはコッポラの方なんだよなぁ。
「SOMEWHERE」のエル・ファニングを見てたら、コッポラって才能のある人としか通じ合えないだろうなぁと思うし、それだって長続きはしないだろうし、(父親以外の)男性に依存なんて決してしないだろうなぁとつくづく思う。
だからこそ、この作品の中の父娘の交流はどこまでも美しくて切ない。
それが「孤独」や「虚無」のようなものであったとしても成長した娘と何かを分かち合うことが出来るのなら、それだけで嬉しいと思えるのが父親だ。
ん?結局そこか?
まぁ、いいじゃないか。それが理由でコッポラの方にちょっと甘めになったとしても。