ヴァージン・スーサイズ

胸がギュッと締めつけられて、その胸の真ん中あたりからジワジワとしたものが込み上げてくるような、そんな感覚を久し振りに味わいました。

電話線を介してだけ通じ合える少年達と少女達。彼らはそれでも生身の声を発することなく自分の思いを伝えるために次々とレコードに針を落とします。それに応えて彼女たちもまたレコードを手にとります。難を逃れた“ロック以外の”レコード達。
自分の大切な人に自分の大事な歌や詩や映画を贈りたいと思ったことはありませんか?僕はあります。
自分の気持ちを伝えることも相手の気持ちを理解することも出来ない未熟さ、そして、もどかしさを感じながらも決してそれを止めない愚かなひたむきさ。
そんなものたちをきちんと描いている映画が僕は大好きです。

元来映画にはそうした未熟さ、不完全さ、もどかしさ、愚かなひたむきさが溢れています。映画という表現手段を世に問うことによってしか関わり合うことの出来ない作り手と受け手。そんな思いを映画にしのび込ませる小道具としてレコードや電話が世界中の優れた映画監督達に好んで使われて来ました。このシーンはその両方を旧来の映画文法の枠を外すことなく配置し、なおかつ他のどのシーンよりも鮮烈で印象的です。

「僕たちは騒々しいだけの子供で、少女ではなく大人の女であった彼女たちの考えの深さや彼女たちが死を選んだ理由を全く理解していなかった。」

少年時代を回想する形式で語られる台詞ですが、しかしこの映画は、未熟さを若さだけによるものとは捉えていません。少なくとも姉妹達は自分が自分の気持ちを完全に理解できているなどとは思っていなかったし、そんな事に興味を示している様子すらありませんでした。何故だろうと考え続ける少年達と形こそ違え、彼女達は決して何もかもをわきまえた大人の女性などではなかった。
そんな少女や少年達から感じられる空気。
人や人の気持ちは不完全で不可解で不自然だということ、それらが全ての人間に普遍的なものではないかという問いかけがそこにはあります。
どうしてコッポラはこんな問いを発したのでしょうか?そこには彼女たちの対極、即ち理解できることだけを真実とし、それ以外のものを切り捨ててしまおうとする考え方が見えてきます。テレビレポーターが臨場感たっぷりに伝える事実だけが真実だというような大いなる錯覚が彼女たちにああした問いかけをさせたのではないでしょうか。
「本当にそうなの?目に見えるもの、理解できることだけが真実なの?」と。

大人達は自分達の理解できないことに対処するために、自分達の理解できるルールを押し付けようとします。セシリアの死後、学校が作った「刺激的でなく“適切な”緑色の本」。自分達で勝手に守備範囲を決め、線引きをし、そこを越えるものは不可解なもの、理解しようとする努力を放棄していいものとして処理しようというわけです。
大人達だけではありません。「緑色の窒息パーティー」では若者までが「俺達は悩める十代だ!」と自らをステレオタイプ化することで正当化しようとさえし始めます。

彼女たちはそんな時代の到来を予感していたのでしょうか?
彼女たちが未熟な少年達に最後のメッセージを送った理由が僕にはよく分かります。彼らは愚かだけど、自らの愚かさと愚かさゆえに理解できないことから逃げ出したりしない(逃げ出せない)から。
パンフレットの中だけの世界旅行。空想の中でだけ思い出を共有できる少年達と姉妹。そんな彼らのことを「欠けている」と言うことはた易いのですが、そう言った人達の中に「自分も欠けているということ」をきちんとわきまえている人は果たしてどれほどいるでしょうか?

タイトルでも明らか、常に姉妹の自殺を匂わせながら、そして実際に姉妹達が不条理な死を選ぶこの映画が僕の中に「救いのない虚しさ」以外の余韻(むしろそれとは正反対のもの)をいつまでも残しているのは何故だろう?
束縛された自由が彼女たちの純粋さを守り続け、(多くの若者のように)純粋さと引き換えに「見せかけの現実」と妥協することを彼女たちが選べなかったのだとしたら、それは辛いことでもあり、希望でもあるような気がします。

偉大な映画監督の娘としてのソフィア・コッポラ論やマルチな才能を発揮する現代女性(カッコイイ女性)の代表としてのそれを語るだけではあまりにも勿体無い。この映画には一個の作品としての「ヴァージン・スーサイズ」について語るだけの価値が十分にあるのですが・・・。

抑圧され、制限された不自由の中での無限の自由
姉妹達の無限の想像力は優れた表現者としての「映画監督ソフィア・コッポラ」の中にも同じように存在しています。「親の七光り」などで得ることの出来る自由とは比べ物にならないほどの不自由を彼女は味わってきたのでしょうか?それとも少女の無限の想像力を今でも失っていないのでしょうか?
いつも女の子が何を考えているか分からない男の子だった僕には、そう簡単に彼女の事を理解出来るわけもありません。
00/06/01(木) 21:50

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