幸せになるためのイタリア語講座

不器用にコーヒーを飲むと、不器用な唇にミルクの泡が不器用な線を作ります。
牧師は何も言わずナプキンでそれを拭ってあげます。
今でも、あの様子を思い浮かべると、僕は少し涙腺が緩んでしまいます。

彼は「拭ってくれる人」なのかもしれません。素直になれない意固地さや、心を伝える事が出来ない臆病さ、不器用な彼らの何かを、そっと優しく拭ってくれる人。

「大丈夫ですか?今夜一緒にいてくれる人はいますか?」
「大丈夫です。一人でいるのは慣れていますから。」

不器用にしか生きられない人は、誰かを不愉快にしてしまうことが怖くて、一人で生きていこうとします。でも、そうじゃなくて・・・。不器用な人同士だからこそ、お互いの存在が必要になる。

また、パンを台無しにしてしまって、パニックに陥った彼女は、牧師を訪ねます。とりあえず、彼が彼女にしてあげられることは

「まず、涙を拭うティッシュを出してあげよう。」

最愛の妻を亡くした二人の聖職者。同じ境遇にいる二人は、全く正反対の道を進もうとしていました。自分の信条や、彼女の思い出という頚木から逃れることの出来ない、抜け出そうとしないレッドマン。
これに対して「拭う人」アンドレアス。彼も後ろを振り返ることはするのです。
でもそれだけでなく、他者や未来や、自分なりの神様に心を開こうとする。迷いながら、振り返りながら、でも前に進んでいこうとするのです。レッドマンに対していつになく強い口調で「貴方はエゴイストだ!」と非難した後、それでも自分なりに「喪失」について考えてみたり。

彼がホテルのプールで一人で泳いでいる姿も印象的でした。独りで静かに何かを考えている。でも彼は、そこに留まるのではありません。差し出されたタオルでキチンと自分の体についた水も拭っている。殻に閉じこもって、過去を反芻するだけではないのです。
そう言えば彼の冒頭の登場シーンでは、説教台の上に飛び散ったレッドマンの唾にアンドレアスが気がつくシーンがありました。「拭う人」であるアンドレアスに対してレッドマンは「拭わない人」だったのかもしれません。過去しか見ようとせず、自分の感情や価値観を主張するだけで、他者の心に思いを致すことの出来ない人物。

何かを差し出すのではなくて、最初からそこにあるものに気がつかせてくれる。
本当はピカピカに光っているガラス窓のほこりやくもりをそっと拭きとって、忘れかけていたそこから見える美しい風景を思い出させてくれる。
そんな彼の優しさが大好きになりました。
04/04/08(木) 18:54

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