繋がり合う。支え合う。(「めぐりあう時間たち」)
長く音信普通だった人から連絡が来たり、たまたまいつもと違う道から通勤していたら親しい人に出会ったり。自分が正念場を迎えていたり、ちょっとピンチに陥りかけたりしている時に、そういう出会いが続くような経験を何度かしたことがある。
そういう人たちに支えられているなぁと感謝もするし、何か(たとえば神様とか運命とか)、人の意志を離れた力の存在を感じることもある。
「人は自分でも知らないうちに誰かに支えてもらったり、誰かの支えになったりすることがある。それも時間や空間を越えて。」
そんな感覚を実体験としても、それから映画を通しても(半ば確信に近い形で)持っている。
映画ならば、たとえばアルトマンみたいな、とびきり頭が良くて、ちょっとシニカルな監督が、そういうシチュエーションを巧みな構成力で見せてくれる。誰かと誰かが自覚無く繋がっていて、それがちょっとしたすれ違いから歯車を狂わせることになり、運命のいたずらに飲み込まれることになる。アルトマンは少し上から、そういう人達のおかしさ、哀しさを眺めている。見事だ。
でも現実は、そういう目に見える巧みさで及ぶことの出来る繋がりをさらに超えている。そこには予定調和もなければ、ロジックも構成もない。ただ、そのかわり、そこに人の気持ちや魂の繋がりを感じることは出来る。大切な人を思う気持ちが運命の歯車を動かす。そして自分の知らないところで、自分が誰かと繋がる。支え合う。
それこそが「人生の真理」。
そういうものにこそ近づいて触れてみたいと思うし、そういうものの存在を見せてくれる映画こそが好きだ。
「めぐり合う時間たち」
時間や空間を越えて三人の女性と、彼女たちを取り巻く人々は繋がっている。悲しい別れも不条理もあるけど、だけど僕は彼女たちの意志が彼女たち同士を結びつけ、その他の人を結びつけ、力を与え合っているのだと感じることが出来た。
そんな「人生の真理」を自分なりに検証する機会を何度か得ている。