愛は静けさの中に

誰よりも精神の自由を尊重し、教師としても男性としてもそれを信条としているジェームズ。
だけど、そんな彼でも、誰かを好きだと思って、大切だと、愛しいと、思えば思うほど、その信条の通りに振る舞うのが難しくなっていきます。
どこまでも自由にしてあげたいと思っているのに、いつの間にか縛ることになっていたり。平等でいたいと思っていたのに、いつの間にか「同情」や「憐憫」が割って入ったり。

そう言えばキェシロフスキは「トリコロール」の白、平等の白に寄せてこんな言葉を遺していました。
「人は誰も平等になりたいとは思っていない。“もっと”平等になりたいと思うのだ。」
「平等」を理想や政治や絵空事で語るのなら話は簡単だけど、それを個人の領域、それも1対1の濃密な関係で考えると、その難しさに途方に暮れてしまいます。
でも、それは探求し続ける価値のある困難だと思います。
この映画の二人が最後にそうしたように、それは二人が手を取り合って共に探求する価値のあるものだと思います。

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