猫が行方不明
この映画の舞台はフランスの田舎町なのでしょうか。昔気質の人情のようなものがまだ残っています。どこの国にでもある地上げのせいでそれも失われつつあるようですが、これもまたどこの国にでもいる昔気質の人達(マダムルネと愉快な仲間たち)がちゃんと守っているようです。町に引っ越してきたスタイリストに対してはあからさまに悪態をついてみせます。またラスト近くでは、パリに引っ越すという画家に対して、一見パリを賛美するような歌を歌っているのですが、その歌い方はやけくそ。「あたしたちゃあ、この町の方がずーっ
といいよ。」と言わんばかりです。
※この映画の舞台はパリですが、映画を見た直後には私はそのことを理解していませんでした。
映画史上最も短いと思われるバカンスシーン、あの間に猫に逃げられてしまうなんて、マダムルネは間違いなく確信犯でしょう。彼女の家の扉の落書きが人柄をあらわしています。まあ、根は悪い人ではないので、寂しさを紛らわすためだと思うのですが。何の用事もないのにクロエに電話をかける老婆もいました。ですからクロエと打ち解けた後はわざと彼女を招いて猫を見つけさせたりします。かわいらしくて憎めない「クソばばあ」です。
クロエは大事な猫を探しているうち、次第に猫以外のもっと大事なものを探しはじめるようになります。そのとき、彼女には見事なまでに頼りにならない協力者が次から次へ現れるのですが、これは彼女が持つ魅力の賜物でしょう。彼女が探しているものは本当はそういう所にあるのでしょうが、彼女はまだそのことに気がつきません。猫の手がかりが何一つ見つからないのに、道端で演奏をするバンドやダンサーたちを見て彼女は屈託なく楽しそうに笑います。僕は「もう見つかってるじゃないの」と思ってました。
それでも彼女は探し続けます。人畜無害の同居人と暮らし、普段はぱっとしない地味な服を着ている彼女は、精一杯着飾って(十分かわいいんだけど)、夜の街にまで出かけていきます。そんな彼女にどうしようもない「漠然とした孤独感や不安」みたいなものを感じました。これはある意味では、「はっきりとした孤独感や不安」よりも始末が悪くて、自分がどっちにむいて進めばいいのかなかなか分からなかったりします。そういうもどかしさは何と無く分かるような気がします。
で、彼女は自分の幸せは身近な所にあるということに次第に気付きはじめます。
レンジの裏にいた猫は、これはマダムルネの仕業なので、彼女はそれほど喜びません。次は「死ぬぜ」を連発する、すかしたドラマー野郎ですが、これも「運命の出会い」の様に見えて実はそうではありませんでした。最後に登場するのが、上の階に住んでいた画家です。
彼女が見つけた究極の幸せが彼だったのかどうかは分かりません。ただ、同じ屋根の下で暮らしながら言葉も交わしたことのなかった二人が、引越しの手伝いで階段を行き来するたびに打ち解けていく姿は印象的でした。彼女は、今まで自分は気がつかなかったけど、実は自分の周りには心優しいたくさんの人たちがいたのだということにやっと気がついたのではないでしょうか。彼女は飛びっきりの弾けるような笑顔で走り出します。爽やかなラストシーンでした。
彼女の周りにいる人たちはマダムルネ以外の人も、ただの善人ではありません。
人のよさそうなジャメルだって、道端の浮浪者を蹴飛ばすような真似を平気でします。彼女の周りの人たちをそういうキャラクターにすることによって、映画全体が生き生きとして、リアリティや説得力が出てきたのではないでしょうか。また、そういう人たちだからこそ彼女に本当の安らぎを与えてくれたような気がします。
96/08/02(金) 00:17