家族のその先に(「JUNO」「キングス&クィーン」)
自室に並んでいるDVDを一本ずつ指差して「これ、どんな映画?」と尋ねてくる7歳の娘。昨日は「『JUNO』ってどんな映画?」と聞かれました。
「JUNOって女の子のお腹に赤ちゃんが出来て、彼女や周りの人が頑張る話だよ。」
と答えたところ、JUNOが若いお姉ちゃんだったのと、僕が、一緒に頑張る人を「パパ」と特定しなかったのが気になったらしく
「JUNOは結婚してるの?」
と鋭い切り返し。
「結婚して無いよ。」「結婚しなくても赤ちゃんって出来るの?」
と畳み込まれて
「うん。結婚しなくても赤ちゃんが出来ることはあるんだよ。JUNOは生まれてくる赤ちゃんのために一生懸命頑張るんだよ。周りの人もだよ。」
ということで、ひとまず納得してくれました。
家族としての家族らしさ。母親らしさ。父親らしさ。兄弟姉妹らしさ。子供らしさ・・・。役割を演じることの大切さは確かにあるけど、娘たちには出来るだけ、家族という関係性を越えた人の繋がりや優しさを実感して消化できるようになって欲しいと思います。
「JUNO」ではヒロインをはじめ、親友、ボーイフレンド、父親、それから養子縁組を受け入れる夫婦が、生まれてくる命のために知恵を振り絞り、演じるべき「らしさ」を超えて力を尽くします。「出来ちゃった・・・」なんて言葉、決して口にすること無く。
「らしさ」を超えた”ポスト家族”の関係性を考えるならフランス映画が最良のテキスト。たとえばデプレシャンとか、いいのではないでしょうか。
「キングス&クイーン」のキングスたちと息子との関わり合い、クイーンとの関わり合い。どうでもいい他人の離婚や結婚を「ドロドロ劇」にして公共メディアでネタにするレベルの低さはそこには全くありません。誰でもが誰でもに対して、親として人生の先輩として、人生の未熟な先輩として自分の言葉で語って良いのだと信じることが出来ます。
未熟であることを恥じたり隠したりして、親が子にマウンティングするような安易なやり方でなく、嘘の無い自分を見てもらいながら精一杯の言葉を贈ることの方がずっと大事ではないかと、僕はとても平凡な4人家族の父親ではあるのですが、日々そんな風には思っています。いずれにしても簡単に答えが出ることは何一つ無いのですが。
娘がJUNOと同じくらいの年齢になったとき、僕はどんな風に振舞えるのか。せめて彼女と一緒にこの作品を見て、説教臭くない会話が出来るようにはなっていたいものです。