みんなのいえ

天才型、職人型、親分型、調整型、取り巻き型、暗躍型、理論型、感情型・・・・・・

真の「孤高の芸術家」でもない限り、何かを作ろうとすれば、そこには様々な人々が関わることになります。
出来上がった作品は表面的には、それを生み出す作業に協力的だった人のものということになりますが、実際は違います。気乗りがしなかった人や、引っ掻き回してばかりの人、どうにかして潰しちまおうとしていた人々も、ある意味その作品に大きな影響を与えています(ときとして、協力的だった人以上に)。
会社勤めなどをして、集団作業をしていると、こういうことって本当に実感できます。

「ラジオの時間」に引き続き、三谷幸喜はまた、そうした「一つの作品が出来るまで」のなんやかんやを非常に魅力的な喜劇に仕立て上げて見せてくれました。彼の作品には、決して上手く仲良くなれそうもない人々が、運悪く同じ場所に居合わせたというシチュエーションが度々登場します。
この人たち、“運悪く”同じ場所に居合わせない限り絶対に一緒に仕事をすることなどないはずなのですが・・・。で、やっぱり全然仲良くなれない様子がまず可笑しい。
「俺はインチでなんか家建てられねえよ!」
という感じです。

でも、それでは仕事は進まない。嫌々、渋々、言い争ったり、牽制しあったりしながら、彼等はコミュニケーションをとりはじめます。ここで、彼等が大人で、共に妥協点を見出せるような関係であったならば、表面的には作業は上手く進むのですが、その反面彼等のコミュニケーションも上っ面だけのものになってしまいます。
彼等がそれぞれに最悪といっていいほど違う個性の持ち主であるのにも関わらず、それでもコミュニケーションをとり続けるという特殊な状況こそが三谷作品の最大の魅力なのです。とことん個性の違う彼等がぶつかり合いを続ける姿が、ただひたすら可笑しくて、笑っていて気がつかない間に、いつの間にか彼等が同じ方向に進み始め「作品」が生まれ始める。今度は可笑しいだけではなくて、作品に関わった全ての人々を愛しく感じることが出来るのです。

「扉なんて内開きでも外開きでもいいけど、皆仲良くしようよぉ。トイレも池も言われたとおり作るよぉ。」って、彼。とても他人とは思えませんでした(^_^)。その他の人物もやはり、「ああ、こういう人っているなぁ。」って人だらけで、いつもながら三谷監督の洞察力には感心してしまいます。「最悪に仲良くなれそうもない関係」を現実的にするためには、この洞察力、絶対に欠かせません。思うに、彼は「最悪に仲良くなれそうもない集団」の中でも、最も最後まで仲良くなれず、でも本当の最後の最後に(10回に1回くらい)仲良くなれるようなことがあったりなかったりするような人生を生きてきたのではないでしょうか。そうでないと物語の一部始終を最後まで見届けることは出来ないと思うのです。

「僕は君にアーティストしての仕事を貫いて欲しい!」

優柔不断な夫がたった一度だけデザイナーにキッパリ言ったあのシーン。此処だけは僕と彼の大いなる相違点なのですが、あの心意気が三谷監督自身の中にありつづける限り、永遠に彼の次作が楽しみです。
01/07/04(水) 23:49

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