活きる
影絵芝居でグォ・ヨウが発するしぼり出すような声、博打のサイコロを振るカラカラという音、幼い娘に引かれるように雑踏を走るグォ・ヨウ。躍動感のあるまさに活き活きとした予告編を見たときから楽しみにしていました。
やはりグォ・ヨウが素晴らしかった。仕事には身が入らないが、育ちのよさが染み付いていて人当たりが良く、決して他人を不愉快にさせない典型的な大棚の若旦那タイプ。日本の時代劇などでもこのタイプの中には舞や唄などプロ顔負けの才能を持った人物などがよく出てきますが、この映画の影絵芝居も見事でした。「風の丘を越えて」で見た韓国のパンソリの発声法も思い出しました。
40年代から60年代の中国を舞台に映画を撮るのなら、どんな人物を主人公にしても国共内戦から文化大革命までの政治的な動きと無関係ではいられないのでしょう。但し、この映画の登場人物たちはどんなに歴史や政治に翻弄されてもそれを批判したり、自分とかけ離れた所で起こっている大きな出来事を嘆き悲しんだりはしません。
思えば物語の最初の方で息子の借金を潔く払う父親もそういう人物だったのでしょう。運命を嘆き悲しんだりしない。そのことが何の意味も持たないということをいやというほど知っているから。恐らくはそれを口にした途端、やって来るのは自らの身の破滅なのでしょう。時代の流れを呪うものに対して歴史はどんな手加減もしないということをこの国の人たちは長い長い時間をかけて悟ったのではないでしょうか。
家を失い、息子を失い、娘を失って、それでも決して恨み言など口にしない人々。生き抜くことだけが彼らにとって唯一の抵抗だったのでしょう。
政治と距離を置き、自分や自分の大切な人々と共に生きることを唯一の喜びとする生き方。政治に頼ることはしないけれど、決して屈服もしない。この国の人たちが身につけた生き方は歴史的であると共に実は極めて現代的な生き方だということを気がつかせてもらいました。
02/04/13(土) 01:47