20年前の「先行者」(「スプリング・フィーバー」)

「先行者」というロボットを知っている人も未だ少なくないだろう。
20年くらい前、技術力に劣る中国を揶揄するネタとして当時ネットで流行った。
あれから20年、中国は目覚ましい発展を遂げ、日本は「失われた○年」を幾度も経験して、停滞あるいは衰退を続けている。
「先行者」がネタになっていた2000年くらい前まで遡って中国映画についての自分の感想を読み返してみると面白い。
「理解が難しい隣国」という印象や、それから、当時は自分でも気づかなかった「根拠のない優越感」みたいなものも垣間見えてくる。

「スプリング・フィーバー」は2010年の公開。それでももう10年も前の作品になる。
話の筋は殆ど覚えていないのだけど、渋谷でこの映画を見た後、僕はこの映画の暴力的な熱に浮かされて妙に高揚していたのを未だに憶えている。
清も濁も全てを飲み込んで、得体の知れないパワーを生み出し続ける国家。善悪や理屈でなく、圧倒的なパワーそのもので世界を飲み込もうとする中国。
映画館を出るとそこには「渋谷の若者の熱気」とやらがあった。チャラチャラして軽薄で実は内向的な。それを見て、僕は、わけもなくイライラしていた。

「こんな奴ら全部飲み込まれてしまえ。」

それからまた10年が経って、大陸からは観光客が押し寄せ、文字通り日本は買い叩かれて飲み込まれ続けている。
それでも未だ内向きの日本礼賛と、それと対になる隣国へのヘイトがメディアには溢れている。

どちらが綺麗か?

とか

誰が正しいか?

とか

そんなことは関係ない。

そんなこととは関係なく全てを飲み込んでいく熱に僕らはどう向き合うのか。

僕は10年後にこのテキストをどんな気持ちで読み返すのだろう?

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