わたしを離さないで

どことなく悲しげで、威圧感はないのに、でも何かをグッと内に秘めたキャシーの眼差しを一番よく覚えています。
ブロイラーのように生きて、生きる意味を求めることや、生き続けようともがくこともせず、ただ生と死を受け入れるだけの人には、決して出来ない眼差し。

「人は誰でもいつか死ぬ。生の意味を理解することもなく。」
それでも、あるかどうか分からない生きることの意味を求め続けるのも人間なわけで。
生の意味を理解することの出来る人間は決して多くないし、正しく理解するものとなれば、それこそ皆無なのでしょう。でも自らはそれを理解することが出来なかったとしても、そこに全く意味がないとは僕は思えません。

「あなたに出会えただけでも良かった。」
そう言えない人生にいったいどれほどの意味があるのでしょうか?
生の長さや、死に方とは関係なく、誰でもが等しくたどり着く死に際して、そう思える人がいることが今の僕にとっては・・・。

「めぐりあう時間たち」を、と言うか、「めぐりあう時間たち」を見た後、書いていた自分の感想を思い出していました。

>一つだけ確かな行き先。土色の濁流の中、薄汚れたアパート街の
>アスファルトの上、それとも・・・。その瞬間君が、僕との間に
>「積み重なっていった時間」を思い起こしてくれればそれでいい。
>それが多分君にとっての「幸福の大部分」だから。きっとそうだ
>から。

僕にはどうしても彼女達が不当に命を奪われたようには見えませんでした。いや、不当に命を奪われたことは確かなのですが、それでも本当に大事なものを奪うことは誰にも出来なかった。誰にもそうさせなかったのだと。

「Never Let Me Go」は誰かにすがる言葉ではありません。あの彼女の眼差しには、生きることの意味にたどり着けない自分が、それでも自分の大切な人にとっての生きる意味になることは出来るのだと信じる強い気持ちが込められていたのでした。

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