あの頃ペニー・レインと

痛々しい挫折感とは無縁の青春映画、これ以上はないという程の直球勝負でした。邦題では中心に据えられているヒロインのペニー・レインですが、「年上の憧れの女性」としては輝きがもう一つに感じられました。多分、彼女自身、大人になり切っていない「夢見る少女」としての役割も演じなければいけなかったからなのでしょう。その両方を微妙なバランスで演じるというのはかなり難易度の高いことですから、そこまで求めるのは酷なのかもしれませんが、もっともっと複雑で魅力的な女性に見せることが出来たかと思うと、やはり残念です。彼女の背負った影の部分がもうすこし表に出てくると良かったのではないでしょうか。
楽しみにしていたフランシス・マクドーマンドの演技ですが、演技というより彼女が演じていたキャラクター自体に引かれました。自分の価値観を押し付け、子供を管理したがる厳格な母親、一種ノイローゼともいえるようなその姿は去年見た「ヴァージン・スーサイズ」のキャスリン・ターナーとダブりました。(そう言えば体系の崩れ具合もかなり似ていた(^^;)。)二人の唯一最大の違いは最後の最後で我が子を信じることができるかどうか、許すことができるかどうか、引いては他人を信じることができるかどうか、許すことができるかどうかというところにありました。あとは、この二人本当にどこも違わないほどそっくりだと思います。
そっくりと言えば、この映画の登場人物たちは皆、本当によく似ています。
成長し切れなくて、背伸びをして、片意地を張って、夢を見て・・・。ウィリアムも姉も母もペニー・レインもバンドのメンバーたちも、皆が同じような愚かさと同じような直向さを持っています。だからこそ最後の最後で信じたり許したりすることができたのかもしれません。ラッセルとウィリアムの母親の電話のシーンが僕は一番好きでした。
スティルウォーターの花形ギタリストは若き音楽ジャーナリストのことを「天敵」と呼びます。敬意と親しみを込めて。彼らの関係は「ザ・エージェント」のエージェントとアメフト選手によく似ています。
欠点だらけで反発し合うもの同士が、お互いを高めあっていける関係を築けるか否か?それはやはり最後の最後のところで相手を許して、信じてあげられるかどうかにかかっているのでしょう。
01/04/04(水) 23:30

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