家族に憑かれて、家族を演じる(「湯を沸かすほどの熱い愛」「浅田家!」)
昨日が妻の誕生日だった。数日前に僕が買い求めたプレゼントを娘たちから渡してもらった。
妻はママであり、僕はパパだ。全ての贈り物は娘たちを経由し、世界は、家族は、娘たちを中心に回る。
1週間ほど前に中野量太監督の「浅田家!」を見た。彼の作品は「湯を沸かすほどの熱い愛」を見て以来だ。
Twitterで彼のことを「家族に憑かれた人」と言っている人がいた。確かに。
僕が見た2本とも家族をテーマにしている。少し変わった家族。
どんな家族が「普通の家族」で「変わった家族」なのかは分からないけど。
そもそも何をもって「家族」というのかも分からないけど。
「湯を沸かすほどの熱い愛」で圧倒的な存在感を放つ母親役を演じていたのは宮沢りえ。
だけど彼女がありったけの愛を注いで育てていた子供たちは彼女がお腹を痛めて生んだ子供ではない。オダギリジョー演じる心優しき風来坊の夫と、血のつながらない子供たち。そんな家族が、しっかりと家族を演じ、しっかりと母の何かを(DNA?魂?)受け継いでいる。
「浅田家!」の主人公は二宮和也が演じていた。家族、自分の家族、どこかの家族を撮り続けている彼自身は、決して家庭的ではなく、むしろそういうものとは無縁の自由人であり、「湯を沸かす」でいうならオダギリジョーのような存在だ。だけど彼のファインダーの中では父と母と兄が茶目っ気たっぷりに、おかしなおかしな家族を演じている。そして日本中の家族が彼の前で唯一無二の家族を演じている。
家族を演じるのはとても大事なことだ。そうやって家族は少しずつ家族になっていく。にっこり笑ってピースサインをして、そうして積み重なった記憶が家族になる。どこにいても誰と何をしていても必ず帰ってくることの出来る家族になる。
家族を演じられることは、、、素晴らしい。
中野監督のことを「家族に憑かれた人」だという人がいる。多分その通りだと思う。
家族に憑かれて、家族を演じる。
家族にはそれだけの価値がある。