映画の中のエレベーターといえば?(「ダイ・ハード」「マルコヴィッチの穴」「エドワードヤンの恋愛時代」)

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の冒頭に主人公がエレベーターに乗るシーンがある。
とても大きく、ボタンの類は一切無く、音も殆ど出ない。あまりに静かで、それが昇っているのか、降りているのか、はたまた横に動いているのかも分からないような。
これはある意味、実際のエレベーターより、エレベーターの本質を言い当てているとも言える。
完全な密室で、乗る前と乗る後とで、時間と空間をワープする。コントローラブルに見えて、その実、制御のしようが無い。
エレベーターの使い方が印象的な映画は?
真っ先に思い浮かぶのが「ダイハード」。その後のアクション映画の中でのエレベーターの位置づけを変えたと言っても過言ではないのでは。続編でもそれは踏襲されている。マクレーンはアンコントローラブルな密室であるという制約を取っ払って不利な状況を挽回していく重要なツールとしてエレベーターを自由自在に使いこなしてみせる。
「マルコヴィッチの穴」の7と1/2階に止まるエレベーターも面白い。
「世界の終わり」に似ているし、そういえば同じ村上春樹の「羊をめぐる冒険」では映画と同じように“あらぬところ”に停止するエレベーターも登場する。
これはエレベーター本来のアンコートローラブルでパラレルワールドへの入り口となる不条理感を強調したパターンということになるだろう。
個人的に一番好きなのは、と言うより愛して止まないのは「エドワード・ヤンの恋愛時代」。
この作品の中でのエレベーターは直接的な機能や、どこかに行くための手段としてではなく、都会に生きる人たちの孤独やすれ違いのメタファーとして使われる。
そして、その孤独の象徴であったエレベーターが、映画史上最も見事な(と、僕は信じている。反論は認めない。同意してくれる人には何度でもハグをする)あの二人の再会のシーンを生み出す。

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