「ごめんなさい」も「ありがとう」も(「万引き家族」)

「万引き家族」の中で、ずっと引っかかっている言葉がある。
女の子があの家族から引き離されて、また元の母親のもとに戻り、そしてまた以前と同じやり取りが再現される。娘を威圧して、大きな声をあげて母親は迫る。
「ごめんなさいでしょ?ごめんなさいは?」
僕もこの言葉を娘に強要してしまったことがある。言うまでも無くそれは自身への服従を求める言葉であり、隷属を強いる言葉である。
だから映画の中のあの台詞がずっと自分の中に引っかかっている。

最近は10歳の誕生日に「ハーフ成人式」なるものを行うことがあるそうだ。親は子供たちの健やかな成長を祝い、そして子供たちは作文や手紙を書く。10歳まで自分を育ててくれた両親への感謝を込めて書き、それを両親にプレゼントする。
「産んでくれてありがとう。元気に育ててくれてありがとう。」

どちらも要らない。ごめんなさいも、そんなありがとうも。娘たちにそんな言葉を、そんな気持ちを、強いる必要はどこにもない。

元の母親のところに連れ戻されて、また雪の日の翌日に一人ぼっちでベランダから外を見ている女の子。多分僕は「ごめんなさい」の言葉に引きずられて気がついてあげられなかったんだけど、他の人の感想には「女の子の目には、あの家族と出会う前には見られなかった光や力が宿っていた」と記されていた。
それは強制に屈せず、何者にも隷属せず、堂々と自分の気持を言葉にすることが出来る目だったのだと思う。

「私は10歳になりました。私は10歳です。私は私です。決して誰のものでもありません。」

10歳だろうが20歳だろうが彼女たちの人生は彼女たちのものだ。

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