ハッシュ!
誰かを愛して、誰かに寄り添って欲しいという気持ち
妄信的でも狂信的でもいいから、とにかく誰かを愛したいという思い、愛されたいという思い
家族の、大切な人の、ありのままの全てを受け容れたいという覚悟
一人でも生きていける強さと孤独を飼いならせるしなやかさを持った人だけが辿り着ける優しさと温もり
今の僕は、上手にこの映画と距離をとることが出来ません。
前作「渚のシンドバット」公開の際、インタビューに答えて監督がこんな話を披露していたと記憶しています。(細部は違うかもしれませんが。)
ある末期のエイズ患者の話。彼は親に勘当され荒れた生活を送るうちに発病し、治るあてもないまま入院をしていたのだそうです。既に体中の水分がなくなってカラカラに干からびてしまっているような極めて深刻な病状で・・・。
そんな父を久し振りに見舞った父親がこう言ったのでした。「それでもお前は俺の息子だ。お前のことを愛している。」と。すると、もう体のどこにも余分な水分など残っている筈のない息子の目から大粒の涙が零れ落ちたのだそうです。
前作では「人を愛することってこういうことなんだなぁ」ってホワホワとしみじみと感じさせてくれた橋口監督は、この作品では、その温かさはそのままに、「生きるっていうことはこういうことなんだなぁ」という所まで世界を広げていました。一人の監督の、人間としての成長や世界の広がりをリアルタイムで体感することが出来るというのはこの上もない喜びです。
前作でも甘酸っぱく胸がキュンとなるような恋心を彼方此方で見せてくれた彼ですが、今回もそれは健在。しかも自然さと温かさが増していて。
怒るといつもアイスクリームを食べるという直也と勝裕のやりとりはまさに「恋する二人」のそれで、なんとも言えず微笑ましくなってしまいました。
それから彼の監督しての(それから多分人間としての)成長がよく見えたのは、直也と勝裕が朝子の家を訪ねるシーン。あの小気味良い編集に彼の余裕を感じました。
自分の孤独と向きあって、一人でも生きていける強さを自分のものにしなければ本当に優しくなることは出来ないんだろうなぁ。でも多分それだけでも足りないような気もします。狂おしいほどに誰かを求めたくなってしまう自分の気持ちや、自分と同じ孤独や狂おしさを抱えている誰かの気持ちを思いやらないと、一緒に生きていくことなんて、とてもとても。
愛のないセックス。スポイトも絶倫饅頭も寒々しくもあり、滑稽でもあります。でも誰かとの絆や自分が生きていたという証をこの世界に残したいという欲求や、どんな動機があったにせよ“体が内側からめくれ上がるような痛み”を越えて、抱きとめた我が子を無条件で愛しいと思う気持ちには一片の嘘もない筈です。寒々しさや滑稽さは知っていても愛しさを知らない人は多いのではないでしょうか。僕も未だそれを知らないままです。
でも皆強いなぁ。もっともっと僕も強くならないと、優しくならないと・・・。
“まるで”一人でも生きていけるほどの強さとしなやかさを自分のものにしたとき、初めて誰かに対して優しくなれるのに。今の僕は自分を嘆き悲しむことばかり。自分、自分、自分、自分。自分のことしか考えられません。
この映画から元気を貰って前を向いて歩けるようになる為には、まず自分にそれ相応の強さがないと駄目なのかもしれません。
02/07/21(日) 21:20