天気の子

「君の名は。」の二人がなぜ二人で逃げ出さないで町の人皆を救うことにしたのかを考えていたことがある。
他の誰がどうなっても二人が幸せなら良いとは思わないけど、誰かの犠牲や献身の上に成り立っている「システム」にもいったいどれほどの価値があるのだろう?
居場所やお金がないけど、生きていくため、大切な家族のため身を削って働くしかない人の、時間とカラダとココロを、カネに還元して回るシステム。そして必ずシステムには胴元がいて、そいつらが甘い汁を吸えるように出来ている。
「天気の子」に出て来る東京の描写はまるで橋口亮輔の「恋人たち」を見ているようだった。寂しくて、寒くて、暗い部屋の中で、ただ大切な人のことだけを思い続けて身を寄せ合う日常。
他の誰がどうなってもいいとは思わないけど、だけど、当たり前と思っているシステムのために人身御供を要求し続けるのもそろそろやめにしたい。
何日雨が降り続こうが、地下街が水に沈んでしまおうが、勝とうが負けようが、そこに東京はあり続けて、そこには日々を積み重ねる人がい続ける。僕を待ってる誰かがいて、僕が待っている誰かがいる。
二人だけで逃げ出しても構わないし、二人を応援してくれる人、システムの無い不自由を分かち合える人もいて欲しいと思う。

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