「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
僕は「デカローグ」の第一話を思い浮かべてました。
仲の良い理系父子と、片方の突然の死。科学や論理の外にあるもの、頭で考えたのではどうしても説明がつかないもの、大切なもの・・・
そういうものにどう向き合えば良いのか、どう向き合っていくのかを問うているところも共通してたかなぁ。
父親の役割は命をもって子供に何かを残すこと、希望を託すこと。
母親の役割は共に生きて見守ること、そっと手を差し伸べること。
どんな子供でも、彼の個性を尊重し、対等に扱い、そして正しい方向に導いていくことは簡単なことではありません。最期の最期まで、それを実践し続けるのみならず、自分がこの世を去って尚、その希望を我が子に託し続けることが出来る。彼こそが男の子にとっての永遠のヒーローなのでしょう。
一方の残された母親に課された役割も決して小さくありません。
夫が死の間際に決意を込めた言葉を送り続ける相手に息子を選び、「話し続けて。」の叫びを遮り、感謝の言葉と共に電話を切った、あの別れは、きっとあらゆる意味で彼女のわだかまりになっていたのではないでしょうか。母として妻として女性として重い苦悩を背負い込むことに。
残された二人の苦悩を希望に転じさせる魔法は、直接的には父が残してくれた「謎解き」によるものなのですが、それが僕には映画自体が持つ力であるようにも感じられました。映画的な謎解きが、重層的に絡み合って、その全てが何度もフラッシュバックして、残されたものの希望として結実していく。映画的な謎解きには(恐怖や猜疑心を煽るだけでなく)、こんな力を宿すことが出来るのだと久し振りに気がつかせてもらいました。
思えば「めぐりあう時間たち」でも「愛を読む人」でも、こういう謎解きはしっかり配置されていました。「あぁ、そうだったんだ」という気づきを登場人物と同時に共有しながら、同じ希望に向き合える喜び。
こんな喜びを味わわせてくれる作品をこれからも是非世に送り続けて欲しいものです。