投票券とケン・ローチ
自分の手元に国政選挙の投票券が届くたびにケン・ローチの顔が頭に浮かぶ。
イギリスの映画監督。バリバリの社会主義者。常に庶民の(イギリスでいう労働者階級)立場に立って厳しい現実と最後のギリギリの希望を提示し続ける人。
だから彼の政治信条に賛成(反対)しようとかでは勿論なくて、たぶん彼もそんなことを求めていなくて。
彼の映画の中には正反対の立場で戦う「便宜的な敵と味方が対峙する場面」がたびたび出てくる。スペイン内戦(「大地と自由」)だったり、アイルランド独立戦争(「麦の穂をゆらす風」)だったり・・・。そこでは戦う敵と味方の双方に対して等しくリスペクトが払われている。
一方で、そういう敵味方とは立場を異にする存在もいて。
それは
「戦わずに静観して甘い汁だけを吸うもの」
「戦いから距離を置いて傍観するもの」
で、それは明確な人格である場合もあれば、意志や人格を持たないシステム(たとえば資本主義とかグローバリズムとか)である場合もある。そういうものに対してのケン・ローチの憤りこそが、彼の映画の苛烈な側面の中核ではないかと思う。
僕が手元の投票券を眺めながら見極めないといけないのは
選挙の時だけ戦うふりをして美辞麗句を並べ甘い汁を吸っているのが誰か?
個人ではなく、個人を部品として扱う、システムの側にいる人は誰か?
なのかなぁと。
(これは結構複雑で、たとえば、グローバリズムの側にも、反グローバリズムの側にも、そういう存在が少なからずいる)
これからの未来を生きる子供たちが、個人としてリスペクトされ、自由な選択・判断が出来るようにするにはどうすればいいかをケン・ローチの顔を思い浮かべながら反芻している。