「ちはやふる」

思ったこと、感じたこと、伝えたいことの全てを言葉にすることを許されている若さが本当に眩しかった。しかもその特権は全ての青春に平等に与えられていて、脇役や敵役の隅々に至るまで、まさに全ての登場人物が青春の中では主人公なのだと思えることが出来た。吹奏楽部の応援のくだりとか、それからライバル校への出稽古のくだりとか、大好きだ。

時間。時間もそうだ。全ての時間を一瞬のために惜しげも無く注ぎ込むことが出来るのも、もう一つの特権。何日もの練習を一つの勝負のために費やすのもそうだし、一つの勝負の中でも勝負を決するのは一瞬で、その一瞬を研ぎ澄ますための「間」の濃密さ、奥深さがゾクゾクするほど面白かった。
友情。友情もそうだ。何かの偶然で巡り合ったに過ぎない仲間たちのことを、まるでずっと昔から出会うことを運命づけられていたかけがえの無い存在のように思うことが出来る。そんな特権。「下の句」は団体戦のパートがあっけ無く終わってしまい、その時点では「おやっ」と思ったのだが、先生の言葉どおり、そこからが下の句のクライマックスで、つまり「個人戦こそが団体戦」、たった一人、山の頂に一本だけ立つ木のように戦っている自分を力強く優しく支えてくれる仲間の存在を感じられる喜びがそこにはあった。
コアとなる仲間の団結を描いたのが「上の句」なら、それを決してシュリンクさせず、その可能性をどこまでも広く開かれたものとして結実させたのが「下の句」だという二部構成も絶妙だった。
随所随所に呉服屋の娘、古典おたくの大江さんの視点を通して盛り込まれる百人一首の世界観の解釈、メタファーも効果的だった。「ちはやふる」主人公の凛とした佇まいに、その全てが凝縮されていた。カッコ良くて、綺麗で、ドキドキが止まらなかった。
何年後かの娘たちに、宝石のような言葉と、無限の時間と、かけがえの無い友情が訪れますように。

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