ゆれる

にいちゃーん!にいちゃーーん!!

「にいちゃん」は良い。「にいさん」でもなく「おにいちゃん」でもなく。なかなか届かない叫び声。交錯するバスと男。「バス停」「届きそうで届かない」っていう組み合わせだと“また”キェシロフスキを思い浮かべてしまいました。
キェシロフスキが浮かぶってことは、かなりこの映画を気に入っている証拠。

閉塞感が漂う、ああいう小さな町のことはよく知っているつもりです。
「自分が、ああいう町に残って生きる道を選んだとしたら?」
「自分に兄貴や弟がいたら?」

兄から奪い続けて、でも全てを無くしてしまう弟。
与え続けて、自分の手の内には何も残らず、でも弟から何かをもらうこと、情けをかけられることだけは断固として拒む兄の誇り。
映画の中に残っている「なぜ?」を考えるために色々思いをめぐらせてみたのですが、多分どれも的外れなのでしょう。

母の形見の8ミリテープ。7年遅れで再生する弟。

この映画は「再生」の物語です。
でも「再生」は中途半端な生焼けからは始まりません。全部を壊して、何もかもを失う程に壊さないと。 だから証言台に立った弟が語った決意の言葉は、あの時彼が意図していたこととは違ったかもしれないけど、最終的には「同じ結果」をもたらした(多分)のだと思います。僕はそう思えます。
映画監督が8ミリテープに「希望」以外の思いを込めた映画を僕は認めません。
同じ日本の女性監督である河瀬直美の作品もすぐに頭に浮かびました。

「私の娘は人に殺されるような子だったんでしょうか?」

この母親の言葉もズシリと重かったのですが、やはりこれは女性監督ならではの台詞ではないでしょうか。
2006年08月17日 17:13

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