グラン・トリノ

「俺は世界で一番の女に出会った。」
ちょっとの勇気がないせいで、一歩を踏み出せないでいる少年に向かって、彼 が自信満々に言い放った、でもとびきり優しいあの台詞が僕は好きです。どうしてあの言葉に(少し涙が出そうなくらい)グッと来たのか、その時の僕には未だ分かりませんでした。
この台詞の、この男のカッコよさは、単に一人の女を惚れ抜いたからという程度のものではありません。重い責任を敢えて言葉にせず、自分自身で全て引き受けたからこそ、最後にこの言葉だけを口にすることが出来た。ただの“のろけ話”とはわけが違うのです。

僕はアメリカという国を「あまりに主体的に過ぎる国」と見ています。世界中のあらゆることを自分の手で動かし、正義を振りかざし、何もかもを自分のやり方に巻き込んでいく。その結果として、世界中に災厄を撒き散らし、その火消しにまた躍起になる。そんな巨大な「自作自演国家」だと。この映画を見てもその評価は変わりません。
でもひょっとしたら、僕が疑いを持って見ていたのは「主体的に見えて、実はそうでない、責任逃れの国」だったのかもしれません。
「言いたいことは山程ある。勿論、それを言った後は自分でけりをつける。」
大人になれない、大人の男になれないありとあらゆるものに対して、イーストウッドは言わないではいられなかったんじゃないのかなぁ?
最後の懺悔。彼は最愛の妻と息子にだけ、彼なりのやり方で詫びたのでした。そしてそのほかの全ては自分自身でけりをつけた。警察や法律に頼らず、神にすら頼らず、その全てを自分自身で引き受ける究極の主体性。彼にとって大人になる、大人の男になるというのはそういうことなのでしょう。

俺は悪くないと御託を並べて抗弁したり、泣きついたり、誰かのせいにしたりする。そんな男に誰が惚れるんだ?
弱いものをいじめて、責任を果さず、そしてやたらと群れたがる。アメリカは、いつからそんな国になっちまったんだ?
僕には彼がそう言っているように聞こえました。

世界で一番の女に出会えたと言えない人生は悲しすぎる。でも、それを最後に
口にするためには大人の男としての責任をたった一人で果さなくてはいけないのです。
2009年05月04日23:52

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