マネーボール

シーズン開幕セレモニー。美しく刈り揃えられた芝生の上に翻る星条旗。国家の演奏・・・。
開幕を迎える選手のように、その美しさに胸を高ぶらせながら僕は感じてました。
あぁ、この映画はアメリカそのものなんだ。ベースボールはアメリカそのものなんだ。

ありとあらゆるものに科学的にアプローチし、論理で解き明かそうとする圧倒的な探究心、前人未到のスタッツ(=記録)の山を一人行くパイオニア。
まず「そのアメリカ」に圧倒されます。この映画から、数年を経た今、現実のMLBの「マネーボール」アプローチは益々深みを増し、最早試合中で起こるプレイの全てを数値化してしまったと言っても過言ではありません。
でも決してそれだけではないのがアメリカという国。
徹頭徹尾、科学的なアプローチを求めながら、それでも、たった1球の偶然のドラマで、決して数値化できないドラマで勝利を逃してしまうこともある。
(20連勝したアスレチックスが、それでもまたプレイオフを勝ち進むことは出来なかった。ビリーが縁起を担いで決してスタジアムで試合を見ないっていうのもまた象徴的でした。)
そういう矛盾した二つの哲学の双方を飲み込んで、その対立や、それぞれの益々の高み、探求すらも全部飲み込んで、その全てがパワーになる。
それこそがアメリカという国なのだと僕は思います。

数値オタクのピーターがレッドソックスからの破格のオファーに心揺れるビリーに、そっと見せたあの映像。それが数値とは無縁の「全ての者が野球の中に見る夢」だったっていうのも実に粋でした。
転げまわって、それから、ゆっくりダイヤモンドを回るあのバッターの映像を見て、僕も同じ夢を見て、僕はなぜか少し涙腺が緩みました。

二人の関係も良い組み合わせでとても清々しかった。
愚か者の革命、前人未到の道を行く戦い。屈強な意志や強かな人身掌握術を持つビリーであっても、そこは決して一人では越えられなかったのではないでしょうか。
お互いを信じて、退路を断ち、そして進む。そのための道連れ。ジョナ・ヒル演じるピーターの、人間として、男としての成長もしっかり見ることが出来たのも嬉しかった。

そしてラストシーン。CDから流れてくる娘の唄の最後はこんな締めくくりだったはず。
「パパ、SHOW(=野球)を楽しんで」
楽しむこととは無縁に見える孤独な求道者であるはずの彼に娘がそっと贈ったこの歌にも、また「アメリカ」を見ることが出来たのでした。
2011年11月13日

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