ずっと家にいるけど時間がない僕(と君)を支えてくれる映画の記憶の話
家にいる時間は長くなったけど、新作を見る機会はなくなり、自然と旧作に目が行くわけだけど。
「在宅ワーク」という名前の、よりストレスのかかる労働(本当に資本主義というシステムは・・・)と、もう2か月以上学校にいけず退屈を持て余している子供たちとの格闘(こちらは頑張るしかない)とで、実は家で映画自体を見る機会はあまり増えていない。
それでも自分が書き残した旧作の感想や、自分と感じ方が似ているんじゃないかと思う方たちの感想や、Youtubeで見られる予告編(本当に資本主義というシステムは・・・)で20年以上前の作品を断片的にでも思い出すことが出来て救われている。
村上春樹の小説の中で度々語られる
「人を支えて、人を内側から温めることが出来るのは、その人の記憶だ」
というテーゼは、人と人が愛し合う、自分が誰かから愛されたことがあるという喜びの記憶の文脈で語られていたが、それは人と映画の間でも成り立つのかもしれない。
自分がその映画に心を動かされたという記憶、自分がその映画に必要とされていたという記憶(分かりますか?この感覚)。
僕の記憶の中の大切な映画たちの話をします。
今年2本だけ映画館で見た映画は「男はつらいよ おかえり寅さん」と「ラストレター」で、この2本は、まさに「自分が誰かから愛されたことがあるという喜びの記憶」の話に他なりません。少なくとも僕にとっては。たった二本だけど、今年、この二本に映画館で出会うことが出来て本当に良かったです。
旧作の中で、何度も僕の記憶のひきだしの中から現れて僕を温めてくれるのは「パリのレストラン」。渋谷の文化村で映画が好きな友人たちと見て、それからも劇場やVHSで何度も見ました。大切な仲間たちが集まって、語り合って、最高の料理を楽しむ場所。今は失われてしまっている、そんな場所。
限られた場所と限られた時間の中で、僕のことを内側から温めてくれるそんな映画たちと、その記憶に感謝しています。