あの頃エッフェル塔の下で

男の愚かさ、可愛さ、優しさ、切なさを描かせたらデプレシャンとアマルリックのコンビは最強だと思う。

ウッデイ・アレンの「ギター弾きの恋」を思い出したりもした。
記憶に対してのこのアプローチは実に男性的で、こんな風に引き出しの奥から古い手紙を引っ張り出してきて、自分の愚かさに胸をかきむしられるような思いになるのが男という動物だ。
と言って女性の存在感やリアリテイもキチンとあって、そこがまたフランス人監督デプレシャンのデプレシャンらしいところであるわけで。
ミステリアスなストーリーの序盤、自分とは接点がない登場人物たちが、終わってみると何か身近に感じられ、そうなるプロセスで随所随所に誰かが誰かに対して見せる唐突な優しさのようなものもあって、これもまたデプレシャンらしいなぁと思う。父が娘にかけた言葉の優しさや、主人公の恩師の老教授の包容力が好き。
そのあたりは恐らくデプレシャンという人の人間観察力の賜物だろし、それから「監督の分身」と言っても良いアマルリックが演じる主人公の記憶に対してのアプローチの所産ではないかと思う。
自分の愚かさを取り返しがつかないほどの時の流れの末に思い知り、それなのにそのことを言葉にしないでは、作品にしないではいられないのが男という動物なんじゃないかなぁ。

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