バタフライ・キス

過去を回想しながら我々に語りかけるミリアムは、まっすぐに前を見つめています。そこにはユーニスと出会った頃の怯えた小猫のような様子は欠片もありません。あの彼女の強さは一体どこから来ているのでしょうか?

二人が初めて車の中で一夜を過ごした翌朝、隣りにユーニスがいないのに気がついたミリアムは彼女の名を呼びながら荒涼とした砂浜をさまよいます。僕はこのシーンがどうしようもなく美しく感じられて涙が出そうになりました。

「神様に忘れられた人間が、それでも愛し、愛されるんだ!」という強さ。

貴方のためになりたい、貴方を善人にしたいというミリアムに対して、ユーニスは言います。「他人を善人にする前に貴方が悪に染まる。」と。

彼女の予言どおり、ミリアムは殺人を犯します。そして、自らの殺人に対して全く罪悪感を持っていません。
しかし、これは悪に染まったというよりも、ありのままの自分に気がつき、思いのままに行動した結果だといえるでしょう。(ありのままの彼女が善人なのか悪人なのかということはどうでもよいことで。)愛の為にモラルの壁も越えることができる強さを彼女が元々持っていたということです。
愛を失ったユーニスが次々と殺人を繰り返すのもまた、愛が容易にモラルの壁を壊してしまうものだということの裏返しです。

マイケル・ウィンターボトムという人の強さにも触れない訳にはいきません。

彼の強さはインモラルをとりあげるセンセーショナリズムではなくモラルを越えたリアリズムにあります。
「日蔭のふたり」には宗教的慣習に対立するジュードとスーという男女が登場します。規範と対立することに執着するスーに対して、ジュードは自らの幸せの為、愛する人の幸せの為に宗教と真正面から関わっていこうとします。時には対立し、時には自らの血や肉としながら。僕は聡明なスーよりも愚直なジュードの方に底知れぬ強さを感じました。モラルを越えたリアリズムの強さです。
「GO NOW」でも同様に、徹底して男女の愛憎を即物的に描くウィンターボトム。彼は「愛は美しいものだ。」「愛は人を善に導くものだ。」という幻想を粉々にぶち壊してみせます。

しかしながら、「愛は強いものだ。」と語る彼のリアリズムの向こうに、「美しさ」のようなものが見える瞬間があるからこそ、彼の映画からは目が離せないのです。
98/06/02(火) 23:34

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