アモーレス・ペロス

唸り声を上げ、ヨダレを垂らしながら獲物を見つめる。飼い主の手から放たれると一気に突進する二匹の犬。その瞬間、頭蓋骨と頭蓋骨がぶつかり合う鈍く野蛮な音が薄汚れたコンクリートに響く。
様々な人生が交錯し、車だけでなくありとあらゆる物を破壊した、あの衝突事故のイメージと重なりました。

このシーンだけでなく、時折挿入される犬のイメージはイヤというほど登場人物たちとの関連を想起しないではいられませんでした。

事故現場で傷ついた犬を拾い、命を救ったエル・チーボ。その犬に可愛がってきた“子供たち”を惨殺されてしまった彼は、それでも犬に向かって引き金を引くことをしませんでした。そして、いつもなら冷徹に“ビジネス”をこなすはずの彼は何故かターゲットの命を奪いませんでした。普通ならば彼が「命を奪うことの空しさ」を感じたということになるのでしょうが・・・。縛り付けられ、憎しみとエゴを剥き出しにして向かい合う兄弟。この二人もまるで戦いの前の闘犬達のようでした。エル・チーボが薄ら笑いを浮かべながら言った兄弟の和解は、どうやら訪れそうもありません。エル・チーボはやはり「命を救うことの空しさ」から逃れられないのでしょう。いや、そもそも彼にとっては命の重さという意識自体が希薄なのかもしれません。
捨てたはずの娘の家へ忍び込むエル・チーボ。彼の愛情表現は「ありったけの金を彼女にあげる。」「父親として相応しい風貌になって家族と過ごした時間を取り戻す。」「自分のしてきたことを悔い、本心を打ち明ける。」といったこと。彼のそれには父親が娘を思う純粋さはなく、サイコ男の薄ら寒さと、哀れで滑稽なほどの矛盾が溢れています。

「平等な世界を目指したかった。」

血に汚れた金を娘に贈ってもなお、彼は消え失せてしまった理想を口に出して自己を弁護しようとするのです。そして留守番電話のテープは途切れ、彼の最後の一言は娘には届きません。

「愛している。」

(時間切れのテープのせいでなく)どんなことがあっても彼の気持ちは決して彼女に届くはずがないのです。

「オクタビオとスサナ」でも男の見せかけの愛情は届くことがありません。来るはずのないスサナを待つオクタビオはそれに気がつくことが出来たのでしょうか?
金と愛情さえあればどこかで幸せに暮らせると信じ切っているオクタビオの存在は自分のことしか考えない粗野な夫と少しも違っていなかった。スサナにとっては(実はよく似た二人の兄弟だけでなく)男は全てエゴイズムの塊で、“いつかきっと自分を裏切るもの”だったのでしょう。

男だけではありません。「ダニエルとバレリア」のラストシーンも印象的でした。片足を失い夢を絶たれたバレリアは抜け殻のようになって、あの部屋に戻ってきます。穴だらけの床を見ても、やっと助け出された愛犬を見ても彼女は眉一つ動かさないのです。それなのに自分の姿が消え、ブランクになった看板を見た途端、こらえ切れずに嗚咽をはじめます。
解釈は色々あるのかもしれませんが、僕は彼女は自分の為には涙を流せる人なのだと感じました。それは他の二つのエピソードやパートナーのダニエルと同じようなエゴなのだと。

エゴを剥き出しにする登場人物たち。それは狡さや弱さであると共に彼らの根っこを支えている強さなのだと思わないでいられませんでした。今まで全く馴染みのなかったメキシコの人々たち。陽気で楽観的な人々という先入観はなくなりましたが、彼らを衝き動かしている情熱はやはり本物であるということが分かりました。そしてその根源は矛盾だらけの自己を押さえ切れずに一直線に突進していく強さなのだということも。

涙を浮かべながらバス停を去るオクタビオ、車椅子の上で声をあげて泣くバレリア、分身と共に荒野を行くエル・チーボ、彼らの後姿に、共通した強さのようなものを感じました。
02/02/14(木) 13:55

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