おかえり

正確な言葉の意味も分からず、「静謐な映画」を見に行こうと決めて映画館に向かった。今思うとこのコピーは、「眠る男」か「幻の光」のものだったような気もするが、結果としてこの表現が、ぴったりとはまる映画だった。
夜眠れない時に、耳をふさごうとするのではなく、静寂の中、耳を澄まして時計の音や水滴の音を聞いていると、だんだん落ち着いてきてよく眠れる。なぜかそんな事を考えながら、オープニングから全編音楽のない映画に耳を澄ました。
どこまでも静謐で、淡々と流れる日常に耳を澄ませば澄ますほど、自分の心の中の声は大きくなった。ただ呆然と、見慣れた風景を見続けているように見える妻、しかし彼女は、隣家の表札のわずかな変化にも目を凝らし、月の光にさえ耳を澄ましていた。彼女の日常と我々の非日常がいつから、どのように重なりはじめたのかはわからない。想像する事はできるけど。そして、それを思えば思うほど胸のあたりが苦しくなった。我々の日常は本当に脆い微妙なバランスで成り立っていると感じた事は何度かある。でもこれほどはっきりと目の当たりにさせられると。
夫の腕のなかで、泣きじゃくる彼女を見て切なくて切なくて、たまらなくなった。病院で詰問される彼女を見て、「そんなやつに何が分かる。そんなやつに何もしゃべるな。」と叫んだ。心の中の声はどんどん大きくなった。
数年前、音楽活動の真似事をしていた時、「観客に休符を聞かせろ!」と、口を酸っぱくして言われた。演奏本番、場内に一瞬訪れる完璧な静寂に鳥肌が立った。「休符は究極の音符だ」と文字どおり肌で感じた。この映画を見て、そのことを思い出した。映画館は究極の静寂を再現する場所でもあるかもしれない。

Follow me!

おかえり” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

2/デュオ